天国のRIKI

全てノンフィクション。あなたの周りにもこんなドラマが。

僕はお父さんの運転する車の助手席のTさんが用意してくれた小さな段ボールの中にいた。

Eちゃんには自宅の倉庫へ荷物を取りに行くついでのある事も伝えてあったらしく、車は詰所から直接園内を出た。

15分程のドライブの間も、その間中差し出してくれているお父さんの手をしゃぶり甘えていて、兄弟が傍に居ない事にも気がつかなかった。

お父さんの指は詰所のスタッフの人達のゴツゴツしたのとは違って、もう少し柔らかく、暖かさも直ぐに伝わる母犬の何かに近い物であった。

「ちょっとまってね」と、お父さんは差し出してくれていた手を引き抜き、熟れた手つきで車をバックさせ駐車場に入れた。

「さあっ、着いたぞ。ほらっ、おいで」と、助手席の僕を両手で抱き上げ、胸元に収めてから車から降りたお父さんは、僕に辺りを見させる様にゆっくり入り口のドアの方へ近づいて行った。

2年ほど前に建て替えたばかりの、新築のデザインハウス、ここがお父さんの家なのである。

30坪余りの狭い敷地に一杯一杯に建てられた今風の家である。

7、8メートルの道路とそれの半分ぐらいの脇道の角地で、敷地の形が三角に近い形をしている為、道路面だけは広く、駐車場が広い道路側と裏の狭い道路側の両方にあった。

僕は周りの事は気にならず、居心地のいい胸元でお父さんの首から顎の辺りをペロペロし始めた。

 

「よーし、よしよし」と、又甘え始めた僕をたしなめながら鍵を開けドアを開いた。

2間ほど奥の階段から、駐車場に車が止まった音に気が付き、ドアの鍵を開ける音にせかされる様に出てきたお母さんが、

「あれっ、どうしたの、お帰り。」と、まだ帰宅時間には早すぎる事だけに驚きながら、お父さんのお迎えに出てきた。

そして、お父さんの胸元で何やらキョロキョロと動く僕を発見し、驚きは最高潮に達し、少し怒り口調から始まる言葉で、

「なにっ、連れて来ちゃったの。ええっ、ダメだって言ったのにイー。」と、お母さんは語尾を伸ばしながら、優しい口調に変わらせたかと思うと、そうしなければいられない風に両手を僕のほうへ差し伸べてきた。

お父さんが胸を押し出し気味に僕を前に出すと、お母さんの差し出された両手の中に、僕はすんなり移りお収まった。

 

僕を両の手で抱き上げ胸元へ引き寄せお母さんは「あれっ、この子ちゃんと靴下はいてるじゃない。」と、毛並みの特徴を見い出しながら、今度は顔の前へ大事そうに両手両腕で作った抱き籠の中に収めながらつきあげた。

頭の先から胴体まで20センチ余りの小さな僕の身体は、その抱き籠にスッポリ収まっていた。

僕はお母さんが両手だけで脇の下を抱え上げるのでなく、両腕まで添えて抱き上げてくれるその愛情が、とても安心できて居心地良く嬉しかった。

思わずお母さんの口元をペロペロし始めると、「そうっ、嬉しいの、よーし、よしよし、いい子だねえ」と、出かけるつもりが無かったせいか、化粧っけ無い顔の鼻の周りまで舐めさせてくれた。

お母さんはそのまま少し後ずさりをして、お父さんを招きい入れた。

お父さんは玄関の上がり口を『シメシメ』風な顔つきで上がり、お母さんの両手の中にいる僕の頭を撫でながら中二階のリビングへの階段を上がっていった。

お母さんは僕を抱いたまま、お父さんが閉め忘れた鍵を閉め、お父さんに続いてリビングヘ上がってきた。

 

そこは6畳程のリビングスペースと8畳程のダイニングキッチンのあるリビングダイニングであった。

お父さんはリビングのソファーに腰を下ろしながら、僕とお母さんを待った。

お母さんは何時もの座り順なのかソファーの手前の席に僕を抱いたまま並んで座り、僕を膝の上に両手を添えたまま座らせ、改めて僕の顔を見ながら「可愛い顔してるねえ、優しそうな、いい子だねえ」と、盛んに誉め言葉を並べ始めた。

いかにも最初に「ダメだって言ったのに」と、言ってしまった言葉をかき消そうとしているかの様であった。

そんな様子を見計らってか「どうよ」と、なんとも言いようの無い問いかけをお父さんがしてきた。

「どうもこうもないわよ、だって見ちゃったらこうなると思ったから、見に行かないって言ったのにー」と、お母さん。

「じゃあ、なんとかなるう」と、又分かりにくいお父さんの受け答えに

「しょうがないでしょう、だって見ちゃったんだからー、それに2、3日で保健所へ連れて行かれるんでしょ。」と、少し落ち着いてその時の状況を思い出しながら話し始めた。

「そう、オレも見たらこうなるかと、行かない様にしてたんだけど、Eちゃんに言われてつい行っちゃたらさ、この子がヒョコヒョコ出てきて、なつくもんだからしょうがなくてさあ」と、さっきドアを開けて入ってきた時の、ほんの少しの心配もすっかりなくし、実はお父さんもお母さんと同じ気持ちだったと告げた。

「そうねえ、やっぱりこんなに可愛いの見ちゃったらどうしょうもないわねえ」と、お母さんは黙って連れて来ちゃったお父さんをすっかり許していた。

 

「おいっ、ここの子になっても良いって、良かったなあ」と、お父さんはお母さんの膝から僕を取り上げ、顔の前へ抱き上げ僕の目を見た。

お前もこれで良いのかと、無言の問いかけに僕は、ただただお父さんの口の周りをペロペロしていた。

「お父さん、気をつけなさい、まだばい菌が一杯かも知れないんだから」と、自分もそうさせてしまっていた事への照れ隠しの言葉を、お母さんが言った。

そして、「どうすんの、どこで飼うの」と、次の段階の部屋割りの相談が始まった。

「小さいうちはしょうがないからここで飼うか」とお父さんは前もって描いていた構想を持ちかけた。

「そうねえ、でもオシッコとかウンチとか大変よ」と、お母さん。

「とりあえず新聞紙でも敷いておくしかないか」と、大雑把なお父さんは「それより、名前はどうする」と、お母さんに問い掛けた。

「ああ、そうねえ、そうかあ、名前ねえ。」と、飼うとなるとちょっと面倒かも知れない色々な事への思いはかき消され、一生懸命それらしい名前を思い、口ずさんでみるお母さんである。

 

「リキ、これはどう。リキ」と、お母さんはすっぱり言ってのけた。

「おおうっ、リキか、うん、いいねえ。」「おいっ、リキ。お前は今日から『リキ』だ。良いねッ」と、

一旦膝の上に下ろしていた僕を又抱え上げ、目を見てはっきりとお父さんは僕に伝えた。

そして、「ようーし、これで今日からここが『リキ』お前の家、どうだっ」と、フローリングの床に降ろし自由にさせてくれた。

フローリングの床にちょっと戸惑った僕は、少し滑り気味にそれでも落ち着いておどおどすることなく、このリビングダイニングを探検し始めた。

リビングの片隅には、天上まで届きそうな観葉植物の「ドラセナ」が、新しく家族に加わった僕を歓迎してくれていた。

僕がその下の方まで行くと、後ろからソファーから腰を降ろし床にしゃがみこんだお母さんが「リキ、こっちへおいで、リキ」と呼びかけていた。

何度も聞こえる「リキ、リキ」の声に反応し後ろを振り向き、直ぐにお母さんの差し出す両手の方へ少し滑りながら駆け寄った。

「ようーし、よしよし、リキ、来たか。分かったのか、リキ、よく出来ました」と、お母さんは抱き上げ頭を撫でながら、満足そうにしていた。

 

そんな様子を見届けたお父さんは「じゃっ、そろそろ荷物を積んで戻るよ。じゃあねえ、リキ」と、仕事に戻ろうとするおとうさんに、

「うーん、そう、分かった、じゃあ」と、もう少し僕と三人で遊んでいたい気持ちを持ちながらの生返事をしたお母さんは、僕を抱いたまま玄関までお見送りをしにお父さんの後を追った。

「じゃあね、リキ、おりこうにしてるんだよ、もうすぐお兄ちゃんも帰ってくるからね」と、僕の頭を撫でながら、お父さんが居なくても遊び相手がいてくれそうな言葉を残し、後ろ髪を引かれる思いを断ち切る様に、玄関のドアから出ていった。

 

リビングダイニングに戻ったお母さんは「さあっ、大変だ、リキ。ちょっと降りててね」と、優しく床に僕を降ろし片隅にある古新聞置き場から古新聞の束を取り出し、リビングの周辺部分に三枚重ねぐらいで敷き詰始めた。

そんなお母さんにまとわり付き、甘える僕に「ダメよ、ほらっ、ちょっと待っててね」と、言いながら余計に増えた仕事を、お母さんはむしろ楽しそうに続けた。

敷き詰められた古新聞の上は、フローリングの床より滑り方はすこし少なく、歩き易かった。ただ重なった部分の少し持ち上がった所で足を取られることがあり、よろけたり、ひっかけてきれいに敷き詰められている物を『ガサガサ』と折り返して踏んづけてしまうのだ。

「あららっ、大丈夫、リキ。まだちっちゃいから引っかかるか、可哀想に。」と、きれいに敷き詰めた作業の邪魔をする僕を叱る事も無く、

「はいはいっ、気をつけてね。」と、僕の頭を撫でながら、少し乱れた古新聞の敷き詰めを直すお母さんが、よろける僕の様子に

「あれっ、疲れちゃったかな、おねむになった。ああ、そうだお腹も空いたかな」と、気をもみ始めた。

「そうだよね、ゴメンゴメン、ちょっと待っててね。」とお母さんは慌ててダイニングキッチンの方に行き、戸棚から何かを取り出し、冷蔵庫から又何かを取り出し30センチ程のトレーを持ってきて、古新聞が敷かれたリビングの片隅に置いた。

トレーには白い器が2つ、一方にはミルク、もう一つにはお水が入れられていた。

西側にある幅50センチ程の縦長の窓はここだけレースのカーテンも開け放たれ、そこから入る日の光で、この時間はそこだけが暖められているのであろうフローリングの床の板のぬくもりがとても気持ちよく、トローンとした目で寝そべっていた僕に、お母さんは、

「あれれっ、おねむが先かな、でも喉も乾いたでしょう。リキ、こっちに来てミルク飲みなさい。」と、声をかけて来た。

僕は又『リキ』に反応し首を持ち上げた。すっかり『リキ』と言う響きに馴染んだようだ。

 

ガツガツした様子もなく立ち上り、トレーの前へ行き、ミルクの方へ舌を出してみた。

余り乾きも空腹も感じていなかったのに、ゆったりとした気分で飲むミルクは、飲み始めるととても美味しく、器の半分ほど入っていたものを殆ど飲み干してしまった。

ちょっと突き出た鼻の周りについたミルクのとびちりを、舌で舐めまわしながら、満腹そうな様子を見せる僕に、お母さんは用意したミルクの量と僕の小さな身体を比較しながら「よく飲んだねえ、リキ、えらいぞっ」と誉め言葉を投げかけてくれた。

そして、「さあっ、じゃあ、今度はお昼寝だね」とソファーの方へ後ずさりし、腰を下ろしながら、

「はいっ、リキ、おいで、こっちこっち」と、両手を下に差し出し、僕を手招きしてくれるお母さんの元へヒョコヒョコと近づいて、ジャレる様子も無くその手にすっぽり収まった。

お母さんは僕を抱き上げ、ソファーに深く腰掛けた太ももの上に乗せ「さあっ、いいよ、リキ、ねんねして」と、この上ない柔らかさと暖かさを兼ね備えたベッドを提供してくれた。

なんとも言えない安堵感と安らぎは、直ぐに僕を夢の世界へ運んでいってくれた。

スヤスヤと気持ち良さそうに眠ってしまった僕を満足そうに見下ろしていたお母さんは、手持ち無沙汰になり、ソファーの傍らにあったリモコンに手を伸ばし、テレビのスイッチを入れた。

そして何時もの半分ぐらいの音量で午後のワイドショウを見始めた。

そして、絞った音量でも僕の眠りを妨げないか気にしながら、僕の寝顔をうかがった。

僕はそんなお母さんの素振りには気もつかず、ただ優しさだけが肌を通して感じられ、更に深い眠りについていった。