天国のRIKI

全てノンフィクション。あなたの周りにもこんなドラマが。

  ヘマタイト(生命力)

平成19年2月3日今日は節分である。

夜になって毎年お兄ちゃんとやっていた豆まきを、今年から新居を構えたお兄ちゃんに代わりお母さんとする事になったお父さんは、どっちが「鬼はー外、福はー内」の掛け声を出すかで少し揉めながら、交替でやっていた。

家中の窓と出口を一つづつ開けては『鬼はー外」、閉じては「福はー内」と、豆蒔きをする。

そして、年の数だけ豆を食べるのだが、ここ何年かは食べなきゃならない豆の量に少しへきへきしている二人ではある。

それから、同じ数だけの豆をティッシュに包み、それで身体の具合の悪い所を摩り、終わるとその豆の包みを頭の後ろへポイッと投げるのである。

これは、京都地方の風習らしいのだが、僕も毎年参加している。

今年は、お母さんが豆を17個ティッシュに包み、「はいっ、リキ、今年は摩る所がいっぱいあるねえ」と、その包みで身体中を摩り、僕の身体を支えて立たせ後ろへポイッと投げてくれた。

悪い所を豆に吸い取ってもらうと言う意味があるらしい。

終わった豆の包みをお父さんが拾い集め、神棚に納めに行き、一年の家族の健康をお祈りするのである。

今年は特に僕の身体の事をお祈りしてくれていた様だ。

 

昨日の夜中もお父さんお母さん2人共、交替で起こしてしまった。

僕の夜鳴きのせいである。

去年の秋頃の急な衰えは、年を越せるかなとまで心配されたが、まだまだ命の輝きだけはしっかりと持ち続けている。

ここのところ、夜の12時を過ぎる頃には、お母さんが「又、どうせ夜中に起こされるんだから、先に寝るね」と、僕をお父さんに頼んで先に床に就く。

頼まれたお父さんは、昼間寝過ぎるせいか、夜になると中々寝付けない僕を、添い寝までして寝かしつけてくれる。

去年の暮れには、足もすっかり衰え、何よりも好きだった朝晩のお散歩も、裏のマンションのフェンス沿いに、ヨタヨタと寄りかかりながら40メートル程歩いての往復がやっととなっていた。

お父さんは、そんなそろーりそろーりの夜のお散歩の時、ふっと53歳と早死にだった自分の父親を思い出したりしていた。

自分の父親も、こんな風に老いるまで生きていてくれてればなあと。

 

今はもうリードも必要なくなって、付き添ってくれるお父さんかお母さんが、道路側に僕がよろけない様にガードしながら、側溝の小さな穴に足を落とさない様にと、足先で蓋をしながら横歩きでのお散歩である。

よろけながら後ろ足を少し屈めてオシッコをするだけで「よかったね、おおう、出た出た」と、安心してもらえるのである。

ご近所の70過ぎぐらいのお爺さんには、「おうっ、頑張ってるねえ」と、僕の姿を見て自分の身を奮い立たせる様な言葉を投げ掛けられる。

お爺さんに「人で言うと100歳近いかねえ」と、聞かれたお母さんが、

「そうねえ、90は超えてるでしょうねえ」と、僕への労わりの気持ちを精一杯込めて答える。

「ほうっ、そう、頑張ってね」と、お爺さんはスニーカー姿でさっそうと立ち去る。

お母さんもお父さんも、こんなにヨボヨボになってしまった僕を、むしろ誇らしげに外へ連れ出してくれる。

ここまで一緒に暮せた事への感謝と喜びが、そうさせているようだ。

1日中部屋の中で、殆ど寝たきりの僕にとっても、外の空気は寒さを感じる以上にスッキリするものである。

それでも、足が痛くて立ち竦んでしまうと「もう疲れちゃったかな、足が痛いかな、じゃ、帰ろっ」と、抱き上げて連れ帰ってもらう。

今の僕には充分な精一杯のお散歩である。

 

僕が生まれて間もない頃、この家に来た時は、おもらしした時用の古新聞紙が敷き詰められたリビングに、今は荷造り用のクッション材が何重にも敷き詰められ、角には1メートル四方程のスポンジ入りマットが敷かれている。

回りの家財道具は床から50センチ程段ボールでガードされている。

僕がよろけてぶつかり怪我をしてしまうのを防御する為である。

まだなんとか一人で立ち上がる事が出来た時、誰も傍にいないと、ゆっくり座って横になるだけの脚力が無く、ドターンと所かまわずひっくり返ってしまうのだ。

特に弱っている左側を下に倒れると、必死にもがき、ぶつけて怪我をした個所を更にぶつけて、血だらけになってしまう事がある。

買い物から帰って来て、そんな僕を見つけたお母さんを、びっくりさせ、悲しがらせた事もしばしばあった。

ここのところは、お母さんが出かける時に、又怪我でもしないかと言う心配はあまりしなくて良くなった。

只それも、更に足の力が無くなり、僕一人では起き上がる事が出来なくなってしまった為で、喜べる事だけでは無いのである。

夜中の夜鳴きもそのせいで、寝返りが出来ずに、同じ姿勢を変えたくて、つい唸ったり吠えたりしてしまうのである。

先に起こされてしまったお父さんかお母さんが、リビングに降りて来て、介護してくれるのだ。