天国のRIKI

全てノンフィクション。あなたの周りにもこんなドラマが。

7時過ぎにお父さんが帰って来た。

何時もの様に先ずお仏壇にお線香をあげる為に畳の部屋へ行った。

お仏壇に桜の小枝かお供えしてあるのを見て、昨日の夜お母さんが「明日一人で桜見に行ってくる」と、言っていた事の意味を悟った。

お父さんは蝋燭に火を点し、お線香に火をつけお供えして、何時もより少し長く手を合わせていた。

そしてお母さんもやっと僕とのお別れの近い事を受け入れ始めたのだと思った。

実はお父さん自身にとっても、僕とのお別れは受け入れ難い事であったのだ。

責任ある仕事もあり、大の大人のそれも男が愛犬ごときに振りまわされては、と思いつつも僕への思いは特別の様てあった。

今年になってお父さんは、僕とのお別れをしない方法がないものかと考えた。

生命に限りがなければそれも叶うであろうが、それはあり得ないことである。

老衰ばかりは医学薬学ではどうにもならないのである。

僕の体型から推定される、人に置き換えた年齢は100歳ぐらいとなれば、今の体力の衰えは回復の望めないものなのである。

お父さんの心の中に住み付いた、一心同体と思えるほどの僕との絆を、もし生命の限りが引き裂こうものなら、耐えがたいものになるだろう。

病気であったり事故であったりと何かを後悔する事で、その別れを受け入れるのでない事は、一番辛い事なのかも知れない。

大往生であったと喜んでやる事など、別れである限りとても出来そうに無かった。

お父さんは決心をした。

僕が命の限りを迎えても、お別れをしないと決めたのである。

お父さんの心と頭の中で何時までも僕が生き続けるのだ。

それでも思いと言うのは薄らぐ事がある、そこでお父さんは生まれてこの方書いた事もない物語を書く事にした。

これで僕は何時でもお父さんの中で生き続けていられる。

お父さんのパソコンの中でまだまだ甘え、わがままを言い、元気に走り回れる事が出来るのだ。

お父さんはこの決心をしてから、僕の衰えをやむを得ない事としっかり受け止め、別れのその時まで更にしっかり僕を見つめてくれている。

お父さんの踏ん切りは、僕を自分の心と頭の中で生かし続けることであったのだ。

 

リビングに上がって来たお父さんは「ただいま、どう、リキは何か口にした?」と、お母さんに聞きながら僕のそばに来てくれた。

お母さんは「全く食べてくれないの、お水も少しだけ」と、切なそうに答えた。

お父さんは跪き僕の頭を優しく撫で、目の下から口の周りをそうっと撫で上げてくれた。

うつろな中で僕が少し口を動かしペチョペチョと舌の音を立てると、ポリエチレン容器で水を少しずつ注ぎ入れてくれた。

ペチョペチョ、ゴクンと喉の音がして、飲み込めた事を確認すると「ミルク飲んでみるか、リキ」と、水の容器を牛乳に替え注いでくれた。

お水ほどスムーズに入っていかない口元を見ながら「ミルクは嫌か、そうかそうか、じゃ、はいお水」と、叉お水を注いでくれた。

牛乳でねばっこくなった口の中を洗い流す様にお水を一口二口飲み、またそのままとろとろし始めた僕に「いよいよ、お水だけになっちゃったか」と、お父さんも切なそうに言った。

そして二人の夕食が始り、お母さんは今日桜見物にどれぐらい歩いたかの話をした。

テレビはついていたが僕がこの家に来たばかりの頃と同じ様に、二人の視線は僕に向けられる時の方が多かった様である。

 

夕食後暫くしてお父さんはお兄ちゃんに電話をしていた。

「どう、仕事の方少しは落ち着いた?」と、ここ2ヶ月程帰りが毎晩12時を過ぎると聞いていた事への労いの言葉を掛けた。

「うん、少しはね。でも、研修の最後の詰めがいよいよだからねえ、今度は家で徹夜だよ」と、お兄ちゃんが答えた。

「あっそうか、まだまだ大変だ。いや先週顔出さなかったから、そうかなとは思ったんだけどさあ・・。

実はリキがいよいよみたいなんで、まだ応答のある内に逢っておけばと思ってさ」と、お父さんが告げた。

「ええっ、あっそう、もうそんななの?」と、お兄ちゃんが聞き質した。

「そう、だってもう3、4日何も食べないんだからもう持たないだろう」と、お父さんが言うと、お兄ちゃんは直ぐに

「そう、それじゃあ、直ぐに行くよ。」と、答え電話を切った。

去年の5月に結婚してから月に1、2度は顔を出し、時々お嫁さんも一緒に来てくれて、僕を励ましてくれていた。

今年になって僕の体力の衰えと激痩せが始ってからは、毎週の様に週末に顔を出し僕の介護のお手伝いをしてくれていた。

来るとお兄ちゃんなりのやり方で「とにかく少しでも食べないとね、リキ」と、言いながら僕に食事を与えてくれるのだ。

そして、お父さんが後から帰ってくると「今日はビーフジャーキーを20本食べてくれたよ」とか「今日はチーズを少し食べたよ」とか報告をしていた。

3月末に立ち上げなければならない事業の詰めの仕事に追われながらも、何時も僕のことを気に掛けてくれているのだ。

研修のレポートにも追われ始めたのか、さすがに先週は顔を出せなかった所へのお父さんからの電話であった。

 

30分程してお兄ちゃんがお嫁さんと二人で来てくれた。

二人は僕の傍に跪き、優しく頭を撫で、動けないから寒そうだし、痩せ過ぎた身体を見るに忍びないと掛けられている薄い膝掛け毛布をめくり、骨だけになってしまった身体を摩ってくれた。

お兄ちゃんは週末に来れなかったからと、つい最近のウィークデーに10分ほど立ち寄った時より更に痩せ衰えた僕の身体を見て「リキ、えらいねえ、良く頑張ってるねえ」と、誉めてくれた。

お兄ちゃんは「もう、何も食べられない?」と、お父さんに聞いた。

お父さんは「そう、もう、ミルクも喉を通らないみたい」と、答えた。そして「水ならまだ少しは飲めると思うよ、あげて見て」と、付け加えた。

お兄ちゃんはポリエチレンの容器で少しづつ水を注ぎながら、「飲める、リキ」と、涙で一杯のうつろな僕の目を見ながら声を掛けた。

少し舌を動かし、喉が動くのを見て「飲めたね、えらいえらい」と、叉誉めてくれた。

一口でもうトロトロし始めると「ようーし、よしよし」と、頭を撫でてくれた。

この2週間ほどは殆ど固形物を口にしなくなっていたので、痩せ方は尋常ではない。

あばら骨はくっきり浮き上がり、お腹の部分は内臓が無くなったのかと思えるほど細くなり脊椎だけになってしまった感じである。

そして、骨盤から脚もその骨の形がはっきり見えるほどである。

もう痩せる所が無いであろうと思える僕の身体ではあるが、まだまだ人の暖かさは分かるのだ。

そして、生命力と言う物はすごいもので、口からそれを保つ為に必要なエネルギーが入って来なくなると、自身の身体の脂と言う脂などエネルギーに変えられる物を全てエネルギーに変え、生命を保つのである。

幸い僕は体力が衰えても呼吸不全とか心臓疾患とかの余病を併発しないで済んでいる。

だから、呼吸を荒げる事も無く、痛みに苦しむ事も無く、只トロトロと出来ている、これも、皆の手厚い介護のお陰なのだろう。

2時間ほどしてお兄ちゃん達二人は帰って行った。

帰り際に何時もなら僕に「頑張ってね」と、力強く励ましてくれる言葉も、今日は少し優しく『ありがとう』の意味を含めていた様であった。