天国のRIKI

全てノンフィクション。あなたの周りにもこんなドラマが。

そして、いよいよ桜は満開になった。

日曜日は天気も良く、お父さんも例年に無い忙しさを乗りきり、7時過ぎに帰宅した。

何時もの日曜日なら大きい方のお兄ちゃんが麻雀に来るのだが、お父さんの忙しさがピークであり、疲れているだろうからと今日はパスと言うことになっていた。

僕の状態も思わしくない事で麻雀と言う気分でもなかったのだろう。

お父さんは帰って来てリビングに上がってくると、先ず僕にお水とミルクを飲ませてくれる。

ミルクを飲みにくそうにすると、「やっぱり駄目か、リキ」と、がっかりしながら叉少し水をくれる。

二人が夕食の後「後、どれくらい持ってくれるかねえ」と、お母さんが言うとお父さんは「食べなくなって1週間て言うからなあ、どうだろう、もう何日もないかもね」と、何か淡々とした会話が続いた。

お母さんが「明日は仕事に出なくちゃいけない日だし。二人共いない間に何かあったら可哀想だしねえ」と、お父さんに告げた。

お父さんは「でも、今は動けなくなってもがく事も無いし、ただ寝てるだけだから心配は無いよ。ただ喉がひっつかない様に水だけはやりたいよねえ」と、答え「店の方は少し遅めに行けばいいよ、自分が出来るだけ早く帰ってくるから、なんとかなるよ」と、付け加えた。

そして、明日も早いからとお父さんが先に寝室へ上がって行った。

翌朝お父さんは夕べあんな話をした事もあって、何時も以上に心配な面持ちでリビングに下りて来た。

カーテンを開ける前に僕に掛けられている膝掛け毛布の胸の辺りを見て、まだまだ上下にしっかりと動いている事を確認すると、カーテンを開け、もう一度僕を見る。

明るさに反応する様にうつろな目を開けると「おはよう、リキ、喉乾いたか?」と、お水を飲ましてくれた。

一口二口とお水を飲めた僕を見ながら、本当にホッとした表情に変り、朝の支度にとりかかった。

お父さんが出掛けた後、今度はお母さんが何度か水を口に含ませてくれた。

そして、お昼前お母さんは「リキ、はいお水、お母さんも出掛けなくちゃいけないの、お父さんが帰ってくるまで大丈夫ね、ゆっくり寝てなさい」と、お水を一口飲みながら叉トロトロし始めた僕に言い聞かせ、何時もより遅めにお仕事に出かけた。

 

そして今、僕の命の灯火は最後を迎えていた。

蝋燭の白い蝋の部分はもう使い切って、熱せられて透明になり芯に吸い上げられる蝋が僅かに芯の下に残っているだけになっていた。

風に拭かれて倒れ、まだまだ白い蝋の一杯残ったまま消えてしまう灯火や、強い風にあおられとけた蝋が外に流れ出し、芯が吸い上げる蝋が少なくなり寿命を迎えた命の灯火など、与えられた寿命を最後まで使い切れる命の灯火は、そうは無いのかもしれない。

僕の命の灯火は生まれたばかりの頃に、一度消されそうになった。

そしてパルボと言う怖い病気に掛かった時強風にさらされた。

でも、その時々に僕の回りに現れた人達のお陰でここまで来た。

幸運だった、そう僕は出遭えた人達皆にに恵まれたのだ。

そして、人の暖かさを知り得た事が、僕にその寿命の限りを生き抜く事を許されたのかもしれない。

 

夕方お父さんは6時過ぎに、何時もより少し早めに帰って来てくれた。

お父さんはお仏壇に向う前に、先にリビングの僕の所に上がって来て、薄暗くなった部屋の明かりもつけずに、膝掛け毛布の動きを確かめた。

まだ確かに上下に動くのを確認すると、お仏壇にお線香をあげに行った。

そして、リビングに戻って来て電気を点け、カーテンを閉め、僕の傍に跪き僕の目を見た。

「一人で大丈夫だったか、良い子だ、お水だね」と、少し心配そうに言った。

僕が珍しく少し口を開け、微かな『ぜいぜい』と言う音を立て、口で息をしていたのだ。

「どうした、苦しいのか?お鼻が詰まったのかな」と、言いながら頭を撫でながら少し首の位置を変えてくれた。

すると『ぜいぜい』と言う音は収まり鼻で普通に息をし始め、口をペチョペチョ動かした。

「分かった分かった、はいお水だよ」と、ポリエチレンの容器で水を飲ましてくれた。

一口二口三口、少し多めに水を飲む事が出来、4、5日前と同じ様に飲みながら目を閉じ眠り始めた。

「ようーし、よしよし、落ち着いたか、良かった良かった」と、ホッとした様にお水の容器を置き、僕の前足を握り冷たい肉球を暖めてくれた。

今の眠り具合はここ2、3日より変に熟睡しているなあとお父さんは感じていた。

それでも、落ち着いているのだからと安心する事にして、簡単な夕飯の支度にとりかかった。

最近は週に1、2度、お母さんがお店に出て帰りが遅くなる時はお父さんが簡単な夕飯を用意する事があったのだ。

9時前にお母さんが帰って来た。

「ただいま、リキは大丈夫だった。」と、お母さんは玄関を上がりながらお父さんに声を掛けた。

「お帰り、大丈夫そうだよ。帰って来たら少し口で息してたから心配したけど、ちょっと首の位置変えてやったら落ち着いて、水飲みながら寝ちゃったよ。なんかそれもやけにスヤスヤ眠ってるよ」と、お父さんが答えた。

お仏壇にお参りをしてリビングに上がってきたお母さんは、何時もなら着替える前にすぐに僕の頭を撫でに来て「ただいま、リキ、どうお、大丈夫?」と、声を掛けうつろな目に溜まった涙を拭いてくれるのだが、この日ばかりは帰りの途中ずうっと僕の事で気を揉んでいたのが、お父さんのスヤスヤ眠っていると言う言葉にホッとし過ぎたのか、僕の様子を立ったまま確かめ変に起こさない方が良いかと思い、先に着替えに上へ上がって行った。

二人の食事中も「やけにスヤスヤ寝ちゃってるよね」と、お互いに言いながら、視線だけは僕の方へ向けていた。

あまりに熟睡している様子に、時々は膝掛け毛布の動きをも確かめていた様である。

9時半頃、食事を終えた二人はソファーに座りテレビを見ていた。

どの番組を見ても、コマーシャルだったり、番組の内容の区切りだったりすると、僕の方に視線を落としてくれていた。

僕の傍で僕の身体に触れるには、あまりに熟睡出来ている様に見え、その胸の鼓動だけを確かめていたい心境だったのだ。

そしてその動きは乱れる事も無く、弱まる様でもなく、まだまだ正確にリズムを刻んでいたのである。