天国のRIKI

全てノンフィクション。あなたの周りにもこんなドラマが。

  ヘマタイト(生命力)

平成19年2月3日今日は節分である。

夜になって毎年お兄ちゃんとやっていた豆まきを、今年から新居を構えたお兄ちゃんに代わりお母さんとする事になったお父さんは、どっちが「鬼はー外、福はー内」の掛け声を出すかで少し揉めながら、交替でやっていた。

家中の窓と出口を一つづつ開けては『鬼はー外」、閉じては「福はー内」と、豆蒔きをする。

そして、年の数だけ豆を食べるのだが、ここ何年かは食べなきゃならない豆の量に少しへきへきしている二人ではある。

それから、同じ数だけの豆をティッシュに包み、それで身体の具合の悪い所を摩り、終わるとその豆の包みを頭の後ろへポイッと投げるのである。

これは、京都地方の風習らしいのだが、僕も毎年参加している。

今年は、お母さんが豆を17個ティッシュに包み、「はいっ、リキ、今年は摩る所がいっぱいあるねえ」と、その包みで身体中を摩り、僕の身体を支えて立たせ後ろへポイッと投げてくれた。

悪い所を豆に吸い取ってもらうと言う意味があるらしい。

終わった豆の包みをお父さんが拾い集め、神棚に納めに行き、一年の家族の健康をお祈りするのである。

今年は特に僕の身体の事をお祈りしてくれていた様だ。

 

昨日の夜中もお父さんお母さん2人共、交替で起こしてしまった。

僕の夜鳴きのせいである。

去年の秋頃の急な衰えは、年を越せるかなとまで心配されたが、まだまだ命の輝きだけはしっかりと持ち続けている。

ここのところ、夜の12時を過ぎる頃には、お母さんが「又、どうせ夜中に起こされるんだから、先に寝るね」と、僕をお父さんに頼んで先に床に就く。

頼まれたお父さんは、昼間寝過ぎるせいか、夜になると中々寝付けない僕を、添い寝までして寝かしつけてくれる。

去年の暮れには、足もすっかり衰え、何よりも好きだった朝晩のお散歩も、裏のマンションのフェンス沿いに、ヨタヨタと寄りかかりながら40メートル程歩いての往復がやっととなっていた。

お父さんは、そんなそろーりそろーりの夜のお散歩の時、ふっと53歳と早死にだった自分の父親を思い出したりしていた。

自分の父親も、こんな風に老いるまで生きていてくれてればなあと。

 

今はもうリードも必要なくなって、付き添ってくれるお父さんかお母さんが、道路側に僕がよろけない様にガードしながら、側溝の小さな穴に足を落とさない様にと、足先で蓋をしながら横歩きでのお散歩である。

よろけながら後ろ足を少し屈めてオシッコをするだけで「よかったね、おおう、出た出た」と、安心してもらえるのである。

ご近所の70過ぎぐらいのお爺さんには、「おうっ、頑張ってるねえ」と、僕の姿を見て自分の身を奮い立たせる様な言葉を投げ掛けられる。

お爺さんに「人で言うと100歳近いかねえ」と、聞かれたお母さんが、

「そうねえ、90は超えてるでしょうねえ」と、僕への労わりの気持ちを精一杯込めて答える。

「ほうっ、そう、頑張ってね」と、お爺さんはスニーカー姿でさっそうと立ち去る。

お母さんもお父さんも、こんなにヨボヨボになってしまった僕を、むしろ誇らしげに外へ連れ出してくれる。

ここまで一緒に暮せた事への感謝と喜びが、そうさせているようだ。

1日中部屋の中で、殆ど寝たきりの僕にとっても、外の空気は寒さを感じる以上にスッキリするものである。

それでも、足が痛くて立ち竦んでしまうと「もう疲れちゃったかな、足が痛いかな、じゃ、帰ろっ」と、抱き上げて連れ帰ってもらう。

今の僕には充分な精一杯のお散歩である。

 

僕が生まれて間もない頃、この家に来た時は、おもらしした時用の古新聞紙が敷き詰められたリビングに、今は荷造り用のクッション材が何重にも敷き詰められ、角には1メートル四方程のスポンジ入りマットが敷かれている。

回りの家財道具は床から50センチ程段ボールでガードされている。

僕がよろけてぶつかり怪我をしてしまうのを防御する為である。

まだなんとか一人で立ち上がる事が出来た時、誰も傍にいないと、ゆっくり座って横になるだけの脚力が無く、ドターンと所かまわずひっくり返ってしまうのだ。

特に弱っている左側を下に倒れると、必死にもがき、ぶつけて怪我をした個所を更にぶつけて、血だらけになってしまう事がある。

買い物から帰って来て、そんな僕を見つけたお母さんを、びっくりさせ、悲しがらせた事もしばしばあった。

ここのところは、お母さんが出かける時に、又怪我でもしないかと言う心配はあまりしなくて良くなった。

只それも、更に足の力が無くなり、僕一人では起き上がる事が出来なくなってしまった為で、喜べる事だけでは無いのである。

夜中の夜鳴きもそのせいで、寝返りが出来ずに、同じ姿勢を変えたくて、つい唸ったり吠えたりしてしまうのである。

先に起こされてしまったお父さんかお母さんが、リビングに降りて来て、介護してくれるのだ。

 

僕がこの家に来た次の日、ここのところお母さんがとても親しくしているお友達のSEさんから、お昼前に電話が入った。

「今日は居る?」と、この時期でない土曜日には、お母さんも遊園地へ仕事に出ている事を知っているSEさんが

「おいしいパン屋さん見つけたの、一緒に行ける?」と、お誘いの電話をしてきたのだ。

土曜日なので、お兄ちゃんがお昼過ぎには帰ってくるが、お父さんも、おばあちゃんも仕事に出かけ、炊事洗濯と午前中の家事を終え、一人で退屈しそうな時間を見計らってのお誘いである。

「あら、そう、いいわねえ。」と、何時もなら二つ返事でお誘いに乗るお母さんである。

「いいわねえ、でも、ちょっとチビちゃんがいるのよねえ」と、お母さんが、ここへ来てまだ2日目の僕に視線をやりながら応対している。

「ええっ、だってNちゃんは学校でしょう。」と、同学年のお子さんを持つSEさんが聞き正した。

「そう、実は昨日からここに子犬が居るの」と、お母さんは昨日の出来事を話し始めた。

色々と経緯を聞かされたSEさんは「可愛いでしょうねえ、」と、電話口から想像できる僕の愛らしさに堪らなくなり「ねえっ、見にいっても良いっ」と、次の言葉を投げ掛けてきた。

「いいわよ、来て来て、だけどパン屋さんは」と、本当は僕を見に来て欲しい思いの方が強かったお母さんはその気半分で聞きなおした。

「あらっ、そんなの今日じゃなくても良いのよ。じゃ、これから直ぐ行くわね」と、SEさんは電話を切った。

お母さんは、今日は朝から、お兄ちゃんとお父さんを送り出した後、早速真新しい首輪とリードを着けて、僕との始めてのお散歩を楽しんだ。

そして、リビングで家事をするお母さんをチョコチョコ後追いする僕に、

「ほらっ、リキ、気を付けて、踏んじゃうよ」

「リキ、ご飯は食べたの」

「良い子だねえ、いっぱい食べたねえ、お水は」と、時々しゃがんでは楽しそうに話し掛けるのである。

何時もなら、皆を送り出した後、誰かが帰ってくるまで無言のまま過ごす事の多い時間帯に、この上ない話し相手の出現となっている様だった。

この楽しい気分にさせてくれる僕を、誰にでも自慢したい気持ちだったのだ。

 

10分も経たないうちに玄関のチャイムが鳴った。

応対に玄関へ行ったお母さんが、同年輩ぐらいのSEさんを連れてリビングヘ上がってきた。

周りに敷き詰められた新聞紙の上をチョコチョコ歩き回る僕を見つけSEさんは「あらーっ、可愛いわねえ、生まれてどれぐらなの、何犬、名前は」と、矢継ぎ早の質問をお母さんに投げかける。

お母さんは「リキって言うの、そうねえ、雑種でしょう」と、名前以外はあやふやな返事をした。

「リキ、おいで」と、お母さんがしゃがんで僕に呼び掛けた。

僕は差し出されたお母さんの両手の方へ駆け寄り、胸元に抱き上げられた。

「あらーっ、分かるんだ、こんなに小さいのに、可愛いねえ」と、SEさんが羨ましそうに、目は僕に釘付けのままで話した。

二人の会話が弾み始めて、僕への注目が少し柔らんできたところで、僕は居眠りをし始めてしまった。

お母さんの腕の中で眠り始めた僕を、SEさんは堪らないという目で見つめていた。相当の犬好きの様である。

 

10分程経ったところでお母さんが遊園地のお店にいるお父さんに電話をしていた。

「もしもし、SEさんが子犬見たいって、まだ居るよねえ」と、お母さんが言うと、

「ああ、大丈夫だと思うよ。何、飼えるって」と、お父さんは里親探しの続きがある事を思い出していた。

「今SEさんがリキを見に来てるの。ちょうど飼いたいと思っていたところだったんだって。番犬にしたいんで血統書付きの犬を探していたらしいんだけどさあ」と、お母さんがSEさんとの会話の内容を伝えた。

「ああそう、それじゃ、しょうがないかー」と、ちょっと残念そうにお父さんが答えるのをさえぎる様にお母さんが、

「それがさあ、リキを見てるうちに堪らなくなって、この子の兄弟でしょ、なら是非見たいって」と、続けた。

「ああそう、それなら直ぐに来れば、そろそろ昼休だし、T君に電話しておくよ」と、お父さんは何か期待めいたものを感じながら電話を切った。

お母さんはお兄ちゃんが学校から帰ってくるまでまだ4、50分あるからと、昼寝を始めた僕をミカン箱のベッドにそうっと下ろし、SEさんと遊園地の詰所へ向かった。

気性のさっぱりした行動力のあるSEさんは、車の運転も男勝りで熟れたものであった。

30分ぐらい経った遊園地からの帰りのSEさんの車の中には、僕の弟も同乗していたのである。

 

家の前でSEさんと別れたお母さんが、ニコニコ顔でリビングに上がって来た。

眠りから醒め始めミカン箱のベッドの上でモソモソしていた僕を抱き上げたお母さんは、

「リキーっ、良かったねえ、アナタの兄弟がSEさん家の子になるって」と、ちょっと興奮気味に話した。

お母さんの心の中には、僕とこの家族との巡り逢いが、今後の僕にとって確かな幸せを予感させるものである以上、同じ運命にあった僕の兄弟達にも、それなりの幸せを予感させる巡り逢いがあって欲しいとの強い思いがあったのである。

遊園地の店にいるお父さんの思いも同じであった。

僕と一緒に暮す事を決めたお父さんの心の中で、Tさんの手助けのつもりだった里親探しが、僕の兄弟の誰一人も欠けてはならない幸せ探しになっていたのだ。

 

 

土曜日と言う事で少し入園者の期待できる遊園地の店には、翌日の日曜日の準備もあり、お父さんとEちゃん、そしてお父さんの会社の只一人の男の正社員で、平日は営業の外回りをしているSAさんの3人が詰めていた。

SAさんはお父さんと仕事を始めて10年近くになり、まじめに働く事では遊園地でも評判を得ていて、お父さんにとっては右腕的存在であった。

結婚し、2人の子供にも恵まれ、幸せな家庭を築いていた。

お父さんはSAさんを、住まいが公団と言う事で今回の里親探しのターゲットからは外して考えていたが、当然彼にも里親探しの協力だけは頼んであった。

Tさんと歳も近く親しくしていた彼は、Tさんからも頼まれていたのであった。

 

少し興奮気味のお母さんから店に電話が入った「SEさんが1匹連れて帰ってくれたわよ」

「ええっ、本当、それは良かった、でも血統書付きじゃなくて良かったの」と、お父さんが嬉しそうに応対した。

「うん、でも育て易さから考えれば、この子の方がいいわねえと言って、喜んで帰ったわよ」と、お母さんが言った。

「で、どの子にしたの?」と、お父さんが聞いた。

「少し小さいけど元気そうで、良く走り回ってた男の子にしたの」と、お母さんが答えた。

「ああ、そう、それは何よりだ、T君も喜んでたでしょう。ありがとう、じゃあねえ」と、ホッとした表情でお父さんは電話を切った。

電話の内容が僕達の事らしいと、傍耳を立てていたEちゃんが、

「良かったですねえ、後一匹ですねえ」と、自分が打診している里親がかなり自信ありそうな言葉を吐いた。

朝からの3人の会話の中に、お父さんは今日の寝不足が、つらいだけの物では無い事を話していた。

その時には、明日朝メス2匹の引き取り手が見に来てくれるので、30分程だけ持ち場を離れる許可を得たいと言う話しだけは出ていた。

それが、今は、1匹2匹と引き取り手が現れ、それが僕達の愛らしさを目の当たりにした為であろうという思いが、明日の出逢いも絶対にと言う確信に変わって来ていたのである。

 

翌日の朝、遊園地が賑わう前に、妹達2人は引き取られていった。

その日も3人で詰めていたお店に、里親探しの役目を終えたEちゃんが意気揚揚と嬉しそうに戻ってきた。

「喜んで連れて行ってくれました。」と、お父さんに報告をしながら「後1匹なんですよねえ」と、Eちゃんはちょっと肩を落とした。

「そうだなあ、ここまで来たら、何とかしたいねえ」と、お父さんは里親探しの最後の詰めを頭に浮かべた。

ちょうどその時、日曜日用の店構えにする為の下準備をしに、店の外に出ていたSAさんが店に入って来て、

「どうだった?」と、戻ってきて報告をし始めたEちゃんに、実は自分も気をもんでいたんだと言う素振で尋ねた。

「うまくいきましたよ」と、自慢気に答えながらEちゃんは「あと1匹なんです、SAさんどうにかなりません」と、思わず強めの言葉を投げかけた。

SAさんはニタリとした笑みを浮かべながら、Tさんに頼まれた時から気に掛けていて、昨日の夕方帰り際にも見に行っていた事を告げた。

そして奥さんの実家で飼っていた犬が居なくなって暫く経ち、又飼いたいなあと思っているところだったらしい事を、昨日聞いたと話し始めた。

「ええっ、なんだそうだったの、それでどうなの?」と、お父さんはSAさんの話しの確かさを聞いた。

SAさんは「ええ、今日実家へ話しに行っているんで、OKなら連絡が入ります」と、安心しきれない言葉を返してきた。

お父さんは、何とも積極的でないSAさんの何時もの言葉に少しイラ付きながらも、ぬか喜びの大風呂敷は広げられないその生真面目さに期待して、吉報だけを信じることにした。

 

翌朝一番で開園前の遊園地から、最後に一人残ってしょんぼりと朝を向えた僕達のお兄ちゃんが、SAさんの奥さんの運転する車に乗せられ、SAさんの住まいのわりと近くの、奥さんの実家へと旅立って行った。

僕達にとって、僕達5匹兄弟の誰一人欠ける事無く、引き取られる家族が見つかった事は、とても大切な、とても重要な事だったのである。

そして、僕の夜鳴きはこの日以来ぴたっと収まり、お父さんの寝不足の原因もすっかり解消されたのである。

 

 

一週間ほど前には風前の灯火とも思えた僕達5匹の幼い命は、Tさんの思いが、お父さんお母さんの思いと繋がり、そしてEちゃんやSAさんの思いに広がり、あの夜空の星ほども輝けなかったかもしれない命が、今は冬の寒ささえも跳ね除ける、神々しい光を放つ太陽にも負けないぐらいに光輝く命となり得たのである。

僕達の命の光は、飼い主自身が心を開けば、その心を照らし、その傷を癒し、財を守り、愛情の意味を授ける事の出来る素晴らしい物の様である。

 

僕の名前は『リキ』、ここから、僕がこの家族と幸せを分かち合う、素適な物語が始まったのである。

 

 

 

リビンクのエアコンが切られてから、2、30分もすると気温がどんどん下がり始めた。

それまで人気もあり心地よいぬくもりで一杯だったこの部屋にも、冬の厳しい寒さが顔出す。

外とは比較にならないぐらい、緩やかな冷え込みなのだろうが、それまでのぬくもりが大きいものであっただけに、身体に感じ始めてしまうのだ。

僕はさっき見た夜空の星と、あの日見た遊園地の駐車場の広ーい、大きな夜空一杯の星たちが重なる夢を見ていた。

寒さを感じ始めた僕は、眠ったまま身体を丸くした。

そして、鼻先で兄弟達のぬくもりを探した。

半分眠ったまま、丸くした身体を又少し伸ばし、身体を潜り込ませようと探してみたが、ぬくもりにはぶつからなかった。

僕は目を覚ましてしまった。

お兄ちゃんや弟、妹達の誰もそこにはいなかった。

僕は、立ち上がりミカン箱の外へ目をやった。

薄暗い闇の中に、テレビやミニコンポ等のスイッチの所のインジケーターランプの小さな光だけが、夜行性動物の片目の様に鋭く光っていた。

周りは白い壁紙だけがぼんやり浮き上がり、迫ってくる様にさえ思えた。

僕は一人でここに居ることに気が付き、とても寂しく、怖くて不安になった。

心細くて、つい「クーン、クーン」と、生まれて始めての悲しい鳴き声を出してしまった。

悲しく鳴いてみても、何も変わらなかった。

「クーン、クーン」と言うかすれた様なか細い鳴き声は、薄暗い部屋に響くだけで、一層悲しくなった。

僕は勇気を出して思いきり鳴いてみた。

「キャン、」「クーン、クーン」「キャン、キャン」「クーン」

 

階段の上の寝室のドアが開く音がした。

お父さんがガウンの前合わせを深く合わせ、腰紐をしっかり締めながら、スリッパの音を押さえる様に階段を降りて来た。

お父さんが寝床について、まだ30分ぐらいしか経っていなかった様だ。

リビングに入り階段へのアコーデオンドアを閉め、キッチンの方の小さ目の明かりを点け、人の気配がしてもまだ「クーン、クーンと、鳴き続ける僕の方へ近寄ってきたお父さんは、

「どうした、リキ、寂しいのか」と、小声で声を掛け手を差し出し、頭から背中を優しく撫でてくれた。

「おいおい、リキ、お前振るえているじゃないか」と、お父さんは驚いた様子で、普段の声の大きさに戻り、両手で僕を抱き上げ「可哀想に、一人で怖かったのか、リキ」と、僕を胸元に引き寄せてくれた。

お父さんの「リキ」の声の響きに、やっと身体の強張りをやわらげ始めた僕は「クーウッ」と、甘えた声が出せる様になってきた。

お父さんは、しっかり合わせたガウンの胸元を少し緩め、そこに僕を入れてくれた。

そして、腹をくくったかの様に「ようーし、しょうがないかっ」と、言いながらエアコンのスイッチを入れ、ひざ掛け用の毛布を足元に巻きつけ、ソファーの上に横になった。

僕はお父さんの胸元のガウンの中ですっかり落ち着きを取り戻し、今日の嬉しかった出来事を思い起こせるようになっていた。

お父さんの胸元は温かく、どこまでも優しさと安堵感与えてくれる、僕の宝物になっていました。

僕は少しトローンとしはじめながらも、鼻先にあるお父さんの顎の辺りをペロペロし続けました。

この宝物を絶対離さない、僕の物なんだと言う思いがそうさせていた様です。

そして、僕の中では独り立ち出来そうな思いも生まれて来たのです。

僕が大きくなってからもし続けた、お父さんとの儀式の始まりはここにあったのかも知れません。

 

「よしよし、良い子だ、リキ、大丈夫だからねんねしなさい」と、僕の頭を優しく撫でてくれるお父さんも眠そうでした。

もう、とっくに夜中の2時を過ぎている様でした。

お父さんは、スヤスヤと眠り始めた僕の寝息が落ち着くのを待って、そうーっと僕をミカン箱のベッドに移しました。

少し暖まり過ぎになり始めていたお父さんの胸元から離れ、ベッドに移されると、すーっとした感じがして気持ちは良かったのだが、目は半分醒めてしまった。

安堵感が奪われた感じがして僕は「クウーッ」と、甘えた声を出してしまった。

あわててお父さんは「大丈夫だよ、ここに居るよ」と、ソファーに横になりながら手を差し出してくれた。

僕はお父さんの指先をペロペロ舐めながら、又うとうと眠り始めた。

お父さんがそうーっと手を抜こうとすると、甘えてダダをこね「クウーッ」と、口をペチャペチャと動かし、少し眠りが戻されそうになる。

その様子にお父さんは腹這いになって、手を更に深く差し伸べてくれた。

今度はその指先をくわえたまま眠り始めた。

母犬の乳首にしゃぶりついたまま眠ってしまった子犬の様にである。

お父さんはうとうとしながらも、満足そうに僕の様子を見ていた。

そして、朝6時半頃お母さんが起きてくるまで、僕のその眠りは覚めることが無かった。

お父さんが僕に分からない様にそうーっと手を抜き、寝室に戻って眠りにつけたのは夜中の3時をまわってからの様であった。

その後、お父さんのこの寝不足の原因は、3日続いたのである。

そしてこの3日間は、僕達5匹の幼い兄弟にとって、それはそれは大切な特別な日となったのである。

 

 

 

 

 

8時半頃に一本の電話が入った。

お父さんが出て「はいっ、分かった」と、何時も通りと思える短い応対で電話を切った。

お母さんが「二子?」と、何時も通りの会話を交わし、夫々の顔に少し安堵の表情が増す。

食後に、新聞紙の上にしてしまったウンチ騒ぎも、お母さんが「おお、くさいねえ、まだ小さいからしょうがないよねえ。そうそう、この上にするんだよ」と、叱る事もせず、後始末をしてくれた。

初めは『うわっ』と、困った顔つきをしてしまったお兄ちゃんは、くさい物からも目を背けないお母さんのその様子に、尊敬の思いを持ちつつ、「今度はお外で出来る様にしようね」と、僕にさとす様に告げ、頭を撫でに来てくれた。

トイレットペーパーを用意したり、替えの古新聞を用意したりと、後始末の手助けをしていたお父さんは、この二人の様子に、にこにこと満足そうにしていた。

僕は夕食後の家族の団らんの中に、すっかり落ち着いて溶け込んでいた。

電話がかかってから、10分程経ってお父さんが「さあっ、行って来るか」と、ソファーから立ち上がり出掛けて行った。

この家のもう一人の家族、70歳近くになっても身体の動く限り続けると、自分の小さなお店を開けている、おばあちゃんのお迎えである。

今日のお父さんの最後のお仕事なのである。

お酒を1滴も飲まないお父さんは、家族の誰かが出かけている限り、駅までのお迎えは自分の仕事と決めているのだ。

お兄ちゃんの塾通いのある日は、塾までのお迎えと、おばあちゃんの駅までのお迎えは、好きなスポーツ番組のテレビ観戦がどんなにいい場面になっていても、時間がくればこれだけは自分の仕事と出かけて行くのだ。

 

15分程でおばあちゃんが帰ってきた。

お兄ちゃんが僕を又胸元に抱え、勇んでお迎えに玄関へに行った。

何時もなら、おばあちゃんが玄関横の畳の自分の部屋に入り、落ち着いた頃を見計らっておばあちゃんに甘えに行くお兄ちゃんが、その帰りを待ちかねた様に玄関に現れたのである。

おばあちゃんは直ぐに僕に気がつき「あれっ、どうしたんえ、まあっ、かわいいなあ」と、東京へ出て来て30年以上経つのに、家族の中では京都弁丸出しの言葉で、その驚きを伝えた。

お兄ちゃんと僕はそのままおばあちゃんの部屋へ入った。

お兄ちゃんは「リキって言うんだよ、ねっ、リキ」と、出来たばっかりの弟分を、今日の出来事と一緒に一生懸命紹介していた。

着替えをしながらおばあちゃんは「へえーっ、それは良かったなあ」と、僕でもなくお兄ちゃんにでもなくその言葉を投げかけた。

僕への 『この家に来れて良かったね』以上に『かわいい弟分が出来て良かったね』のお兄ちゃんへの思いの方が強そうではあった。

お兄ちゃんは僕を畳の上に降ろし歩かせてくれた。

始めての畳の部屋、フローリングの床の様には滑らないが、じゃれて身構え前足をふんばるとちょっと爪が引っかかった。

着替えを終えコタツの座椅子に腰を下ろしたおばあちゃんは、「どれどれ、まあ、ほんまにええ顔てるなあ、賢そうな。へえーっ」と、僕を抱き寄せた。

歳のせいか少しカサカサした手ではあったが、今でも仕事をしているしっかりとした腕の力に、僕は安心して身体を預ける事が出来た。

この部屋には大き過ぎるぐらいの黒塗りのお仏壇があった。

その上の方には、おじいちゃんらしき人の写真が掛けられていた。

 

これで、この家の家族全員へのお目通りも叶い、この上なく優しく暖かく迎えられた僕は今日から『リキ』として、この家の一員となり、一緒に暮す事になった。

まだ小さい僕は、階段を上へも下へも行けず、専らリビングダイニングをその生活範囲とする事になった。

夜は取り敢えずとばかりに、ミカン箱にお兄ちゃんの低学年の時使っていた学習椅子の座布団を敷いた僕用のベッドが用意された。

 

今夜はこの家で始めて迎える夜である。

10時半頃にお兄ちゃんとお父さんで、「寝る前にもう一度オシッコに行っておこう」と、裏の駐車場へ連れて行ってくれた。

外はエアコンの効いているリビングとは違って、深々と冷えていた。

首輪もリードも夜下ろしたくないと、何も着けずに出ていった。

駐車場に下ろされると、地面の冷たさが足の肉球を通して身体に伝わり、ブルブルと身震いした。

チョコチョコ歩き回る間もなくオシッコが出た。

「おおっ、出たね。本当だ、いい子だね」と、お父さんが言った。

「ねっ、本当に良い子でしょう。」と、お兄ちゃんが自慢気にお父さんに伝えた。

二人は駐車場の道路側にフェンスを作る様にしゃがんでいた。

僕はオシッコをしながら見上げた冬の夜空に、いっぱい輝いている星を見つけ、あの日の遊園地の駐車場の夜を思い出していた。

「さあっ、冷えるから中に入ろう」と、お父さんが言うと、

「はいっ、リキおいで」と、お兄ちゃんが又あの抱き籠に入れてくれた。

あの寒さを凌ぐのに精一杯だったあの日の想い出は、直ぐに掻き消された。

 

11時を過ぎる頃には、夫々が順番にお風呂を済ませ、パジャマの上に何かを羽織った姿で僕に「おやすみ」の挨拶をして、夫々の部屋へ戻っていった。

それと、入れ替える用に最後にお風呂から出て来たお父さんが、ガウン姿でリビングに降りてきた。

「さあっ、リキもねんねかな、今日は始めての事が一杯で疲れたでしょう」と、僕をミカン箱のベッドに入れてくれて、

「そうか、一人で寝るのは今日が始めてかな?鳴かないで寝てくれよ」と、お父さんは僕の頭を撫でながら脇のソファーに腰を下ろし、テレビを見ていた。

お父さんのお風呂上りの手はとても暖かく、僕の身体に触れていてくれるだけでとても安心出来、小さく絞られたテレビの音は、誰かが傍にいてくれる感じがして、直ぐに眠りにつくことが出来た。

この家ではお父さんが、皆が寝静まった事を確認してから、最後にリビングの電気を消して眠りに行く様である。

一休みしたお父さんは、僕がスヤスヤ眠っている事を確認すると、そうーっと僕に触れていた手を抜き、テレビ、エアコンを切り、電気を消して寝室へ上がって行った。

1時間ほども経ったのだろうか、玄関のチャイムの音がソファーの後ろのホームテレホンから聞こえた。

僕は聞き慣れない音に目を覚ました。

まだ、お母さんの太腿のベッドの上に抱かれていた。

聞き慣れない音に首をもたげた僕にお母さんは、「大丈夫よ、ねんねしてなさい」と、持ち上げた頭を優しく撫でながら受話器に手を伸ばした。

「はいっ、」とだけの応対に、来客でないだろうの想像が含まれていた。

「おかえり、今開けるよ、ちょっと待って」と、にやついた顔でお母さんが答えている。

「リキ、ごめんね、お兄ちゃんが帰って来たからお迎えに行かなくちゃ」と、お母さんはまだ少しトローンとした目で寝そべっている僕を胸元に抱き上げ、玄関へドアを開けに行った。

 

「ただいま」と、お兄ちゃんは何時も通りの表情で、黄色い通学帽を脱ぎながら言った。

「おかえり」と、何時も通りのお母さんのお迎えに、ちらっとだけ目をやり、玄関に入ったお兄ちゃんは、何時も通りに振り返ってドアに鍵をかけた。

そして、靴を脱ぎ玄関を上がろうとした時、何時もなら「どうだった、何か連絡は」と、話し掛けながら先にリビングヘおやつの用意に向かうお母さんが、何時もと違って、まだそこにこっちを向いて立っていた。

それに、今日は「おかえり」の後に何の言葉も発していないのだ。

ちょっと何時もと違う、何やら策略めいたものにお兄ちゃんは気付き始めていた。

あれえっ、と言う思いでもう一度お母さんの顔を見た。

お母さんの顔がやけににやにやしている事に改めて気付き、「どうしたの」と、お母さんに問い掛けた。

その時お母さんの胸元で、急に何やら動く物を発見したのだ。

不覚にも僕が、少し眠りから醒めてあくびをしてしまったのだ

居眠りから完全に目覚めていなかった僕は、お母さんの腕の中でじっとしていて、何か毛皮の襟巻きをくるくると丸めて抱えているような、お兄ちゃんにとってこれといった違和感の感じられない状況だったのだ。

その襟巻きのような物が突然あくびをしたのだから、お兄ちゃんはびっくり。

ちょっと大きめでちょっと垂れ下がった目を白黒させ、

「どうしたのうっ、貰ったの、飼うのっ、ええっ」と、何時もなら給食袋はダイニングに置いて2階の自分の部屋にランドセルを置きに行ってから、リビングに下りてくるお兄ちゃんは、いきなりランドセルを玄関横の畳の部屋に半分放り投げ状態で、僕の方へ両手を出してきた。

あーあっ、やっと気付いたねと言う顔で「さっき、お父さんが連れて帰って来たの」「ほらっ、まだ小さいから気をつけてあげてね」と、お母さんは僕を大切そうに差し出した。

「うわあっ、ほんとだ、かわいいねぇ」と、両手に僕を受け取ったお兄ちゃんは、すぐさま胸元へ引き寄せ両手を胸に巻きつかせるように僕を抱いた。

「そんなにきつく抱いちゃ可愛そうよ」と、お母さんはその加減を教えた。

元々乱暴でないお兄ちゃんは僕を大切にするあまり、ついついその腕に力が入りすぎたようだ。

お母さんに言われて少し力を抜いたお兄ちゃんは、僕がずり落ちない様に片手を下に添え、片手と胸で僕をはさむ感覚を早速覚えてくれた。

小学校6年生、まだまだ小さい抱き籠であった。

それでも、僕を大切にしてくれる気持ちは充分に伝わる、楽しい抱き籠であった。

その頃には、僕の目もすっかり醒め、安定した抱き籠の中でキョロキョロし始めた。

 

「さあっ、上へ行くよっ」と、お兄ちゃんは僕を抱いたままリビングヘ上がった。

周囲に新聞が敷き詰められた様子に、お兄ちゃんは「なにっ、どうしたのっ、これ」と、放り出したランドセルを持って後から上がって来たお母さんに問い掛けた。

「うーん、だってオシッコとかウンチとかおもらしされたら大変だもの」と、答えるお母さんに、

「ええっ、じゃっ、ここで飼えるの」と、お兄ちゃんはまた目を輝かせていた。

「でっ、名前は、なんて言うの、決めたの」と、お兄ちゃんは思いも掛けない嬉しい出来事を確かめる様にお母さんに聞いた。

「そうっ、さっきお父さんと決めたんだけど『リキ』、どうっ」と、自信ありげにお母さんは答えた。

「リキ、リキかあ、いいねえ、格好良いじゃないリキ」と、満足そうに僕の名前を口ずさみながら、お兄ちゃんはまだ胸元に抱えたままの僕に目を落としてきた。

『リキ』の響きにとってもいい感触を持っていた僕は、お兄ちゃんの顎の辺りをペロペロ舐めた。

「うわあっ、くすぐったいよう、リキ」と、ちょっとてれた様子のお兄ちゃんである。

始めての小動物からの愛情表現を受け、嬉しそうで恥ずかしそうな、本当に優しそうなお兄ちゃんだ。

「ほらっ、いつまでも抱いてると、抱き癖がついちゃうよ、手を洗っておやつにしなさい。」と、お母さんか言うと、

「はあーいっ、じゃ、降りててね、リキ、後で又遊んであげるからね」と、自分がこの小いさな動物に受け入れられた自信をうかがわせ、しゃがんで僕を床に降ろし、お兄ちゃんはおやつの時間をとる事にした。

 

おやつを食べながらの何時もの会話も、わりと親子の会話のの多い二人の中でも、今日は特別に弾んでいた。

お母さんは突然のお父さんの電話から始まった今日の出来事とを、順序だてて話した。

お兄ちゃんの驚いた嬉しそうな顔も想像しながら、僕を飼う事にした事も含めて伝えた。

お兄ちゃんは本当は欲しかったが、どのように手に入れるものかさえ知らなかったと話した。

 

おやつを食べながらも、リビンクをチョコチョコ歩き回る僕に視線は釘付けのお兄ちゃんは、気もそぞろ、最後のクッキーを手にすると口には運ばず「ごちそうさま」と、言いながら早速僕の方へ近づいて来た。

「リキ、食べる」と、僕へのお裾分けのクッキーを差し出した。

「あらっ、リキ、いいねえ、お兄ちゃんがくれるって」と、お母さんがその様子を見守っていた。

「小さく砕いてあげないとだめかもよ」と、付け加えたお母さんは「でも、何でもあげない様にしないとね」と、僕の飼い方の教えを少しほのめかす言葉も付け加えた。

お兄ちゃんはクッキーの半分ぐらいを噛み砕き、手のひらに載せ僕に差し出してきた。

美味しそうなバターの香りに引かれ、小さな塊と粉々になったクッキーをペロペロと食べ始めた。

お兄ちゃんも口に残った半分のクッキーをモグモグと食べていた。

僕とお兄ちゃんのおやつタイムである。

手のひらの粉々になったクッキーを舐め採ると「くすぐったいよ、リキ」と、お兄ちゃんは嬉しそうにてれていた。

お兄ちゃんはリビングに腹ばいになり、僕と遊んでくれた。

20センチ余りの僕の背丈まで目線を下げてくれるお兄ちゃんの僕へのお相手は、仲間になってくれる感じがしてとても楽しかった。

前足を前に突き出してふんばり、お尻を上にひょこっと突き出し、尻尾を振り振りお兄ちゃんの手にじゃれついた。

「あっ、そうだ、そろそろオシッコでしょう。させてみようか」と、二人の様子をにこやかに見守っていたお母さんが言った。

「えっ、どうすんの」と、お兄ちゃんは少し戸惑いをみせた。

「そうねえ、裏の駐車場の所なら大丈夫じゃない」と、首輪もリードも用意されていない僕の始めてのお散歩の場所を提案した。

「リキ、はいっ、おいで、オシッコしに行こう」と、お兄ちゃんが僕を両手と胸で作る覚えたての抱き籠に抱え、お母さんと一緒に玄関へ向かった。

 

お兄ちゃんは、それまで不安と言うものを全く感じる事なくおおらかに育ってきたこともあり、明るく陽気で、とても気立てのいい子供であった。

一ヶ月後に中学受験という、自分に初めてとも言える試練の時を迎え、不安と緊張の重圧は、彼の明るさや優しさに少し影を落とし始めていた。

そんな時に突然現れた、この上なく愛らしい弟分である。

『お兄ちゃんが面倒みてあげるからね』と言う、自分よりか弱いものに注ごうとする愛情の芽生えは、自分らしさを奪い取り始めた重圧を跳ね飛ばすのに最適な事柄のようであった。

最近なんとなく疲れた風な言葉を言う様になり、少し明るさや優しさを無くし始めていたお兄ちゃんのその顔からは、不安だの緊張だのと言う、子供らしさを無くす後ろ向きな思いはすっかり消えうせていた。

『僕がお兄ちゃんだ』と言う、何やら責任感らしき自信めいた物が新たに生まれてきたようであった。

お兄ちゃんが僕に言う『後でねっ』は、まさにその現れである。

お父さんが僕をこの家に連れて来たのは、少し苦しみ始めていたお兄ちゃんの気持ちの和みに役立てばとの思いもあったのだ。

それが結果として、もう一つ上の成果を期待できる、素晴らしい巡り合いを作っていたのだ。

僕達小さな生き物は、その接する人との愛情の在り方によって、この上なく素晴らしい世界と時間を作っていける物の様である。

 

6時半を過ぎる頃お兄ちゃんが、「お父さんはまだ?」と、二階の自分の部屋から降りて来た。

その日は週3、4回の塾通いも無く、ひとしきり僕と遊んだお兄ちゃんが、お母さんに「お勉強は」との

何時もよりやさしめの小言に、何時もより素直に「じゃっ、リキ、後でね」と、言い残して階段を上がっ

て行ってから2時間ほど経っていた。

「あらっ、もうこんな時間、急がなくっちゃ」と、夕食の準備に取り掛かっていたお母さんはその手を早めた。

「リキ、おりこうにしてた」と、お兄ちゃんが両手で僕を抱え上げ、ソファーに腰を下ろし僕を膝の上に置いた。

僕はお兄ちゃんが二階へ上がっていった後にもひと寝入りし、またすっかり元気になっていた。

僕は又遊んでもらえる、楽しい時間を期待した。

お兄ちゃんは「リキ、お腹空いた?」と、僕に話しかけ「お母さん、リキのご飯は?」とお母さんに聞いた。

「そうねえ、ミルクは飲んだけど、お父さんが何か餌を買って来てくれるでしょ」と、お母さんが答えた。

車が駐車場に止まる音が聞こえ、少しして玄関のドアの鍵を開ける音がした。

「お父さんだ、リキ」と、お兄ちゃんは僕をすっかり覚えてくれた抱き籠に収め、玄関へお迎えに行った。

お母さんも、夕食の準備の手を止め、後を追った。

「お帰り」二人のお迎えに「おおっ、ただいま」と、何時もならお母さんだけのお迎えが、二人揃っている事にちょっと驚き気味のお父さんである。

そう、二人だけでなくお兄ちゃんの腕の中にはしっかりと僕もお出迎えの仲間入りをしていたのだ。

「おお、リキお前もお迎えに来てくれたの、よーしよしよし」と、お父さんは僕の頭を撫でながら、手に提げていたホームセンターの袋をお母さんに手渡した。

「やっぱり、買って来てくれたんだリキのご飯」と、お母さんはその中を改めながら言った。

その中には可愛い小さな首輪とリードも入っていた。

 

リビングダイニングに戻った3人は、何時も以上に会話を弾ませた。

中でもお兄ちゃんは僕を連れて来てくれてありがとうの意味のこもった言葉を次から次へと興奮気味に話した。

「お父さん、この子おりこうなんだよ、さっき裏の駐車場へオシッコさせに連れていったら、ちゃんとそこでしたんだよ、ねえ、お母さん」と、お兄ちゃんが僕のしつけ役になれている事を自慢げに伝えると、

僕をお兄ちゃんの手から譲り受けながら僕に「ほうっ、リキ良かったねえ、お兄ちゃんに色々教えてもらえるんだ」と、お父さんは満足そうにソファーに腰浅に深く寄りかかり、斜めになった大き目の胸元に僕を乗せてくれた。

あの暖かいセーターの感触に嬉しさがこみ上げてきた僕は、お父さんの首から顎の辺りをペロペロ舐めまわした。

自由にさせてくれるお父さんに更に嬉しくなり、足もとの悪い胸板の上に立ち上がり、今度は立ちあがった事で届く様になったお父さんの口の周りから鼻の周りまでペロペロ舐め尽くした。

少しよろけて爪を立てて首の辺りをひっかきそうになっても、優しく手を添えて何処までも自由にさせてくれるお父さんであった。

その様子を傍らで、お父さんの愛情の大きさを再確認した思いで、嬉しそうに見ていたお兄ちゃんに、

夕飯の用意をしていたお母さんが「お兄ちゃん、リキのご飯用意してあげて」と、小さなステンレスのボールとお父さんが買ってきたドッグフードを差し出した。

お兄ちゃんは「はいっ」と、何時も以上に聞き分けの良い返事をし、お母さんにこれぐらいかなあと相談しながら僕の夕飯の用意をしてくれた。

傍にいたお兄ちゃんの動きに少し目を奪われ始めた僕を両手で抱き上げ、「ほらっ、お兄ちゃんがご飯の用意をしてくれてるよ。いっといで」と、僕を床の上に降ろしてくれた。

リビングの片隅に用意された、シチュー仕立てのドッグフードをペチョペチョ食べ始めると、傍らにいたお兄ちゃんが、

「うあっー、食べてる食べてる」と、自分の仕事の成果に誇らしげな様子で、僕の食べっぷりを見入っていた。

「さあっ、じゃ、こっちも夕飯にしましょ」と、お母さんが言うと、3人はダイニングテーブルにつき夕飯が始まった。

いつもの様にリビンクのテレビはついていたが、この日のテレビはあまり見てもらえなかった様である。

僕はお父さんの運転する車の助手席のTさんが用意してくれた小さな段ボールの中にいた。

Eちゃんには自宅の倉庫へ荷物を取りに行くついでのある事も伝えてあったらしく、車は詰所から直接園内を出た。

15分程のドライブの間も、その間中差し出してくれているお父さんの手をしゃぶり甘えていて、兄弟が傍に居ない事にも気がつかなかった。

お父さんの指は詰所のスタッフの人達のゴツゴツしたのとは違って、もう少し柔らかく、暖かさも直ぐに伝わる母犬の何かに近い物であった。

「ちょっとまってね」と、お父さんは差し出してくれていた手を引き抜き、熟れた手つきで車をバックさせ駐車場に入れた。

「さあっ、着いたぞ。ほらっ、おいで」と、助手席の僕を両手で抱き上げ、胸元に収めてから車から降りたお父さんは、僕に辺りを見させる様にゆっくり入り口のドアの方へ近づいて行った。

2年ほど前に建て替えたばかりの、新築のデザインハウス、ここがお父さんの家なのである。

30坪余りの狭い敷地に一杯一杯に建てられた今風の家である。

7、8メートルの道路とそれの半分ぐらいの脇道の角地で、敷地の形が三角に近い形をしている為、道路面だけは広く、駐車場が広い道路側と裏の狭い道路側の両方にあった。

僕は周りの事は気にならず、居心地のいい胸元でお父さんの首から顎の辺りをペロペロし始めた。

 

「よーし、よしよし」と、又甘え始めた僕をたしなめながら鍵を開けドアを開いた。

2間ほど奥の階段から、駐車場に車が止まった音に気が付き、ドアの鍵を開ける音にせかされる様に出てきたお母さんが、

「あれっ、どうしたの、お帰り。」と、まだ帰宅時間には早すぎる事だけに驚きながら、お父さんのお迎えに出てきた。

そして、お父さんの胸元で何やらキョロキョロと動く僕を発見し、驚きは最高潮に達し、少し怒り口調から始まる言葉で、

「なにっ、連れて来ちゃったの。ええっ、ダメだって言ったのにイー。」と、お母さんは語尾を伸ばしながら、優しい口調に変わらせたかと思うと、そうしなければいられない風に両手を僕のほうへ差し伸べてきた。

お父さんが胸を押し出し気味に僕を前に出すと、お母さんの差し出された両手の中に、僕はすんなり移りお収まった。

 

僕を両の手で抱き上げ胸元へ引き寄せお母さんは「あれっ、この子ちゃんと靴下はいてるじゃない。」と、毛並みの特徴を見い出しながら、今度は顔の前へ大事そうに両手両腕で作った抱き籠の中に収めながらつきあげた。

頭の先から胴体まで20センチ余りの小さな僕の身体は、その抱き籠にスッポリ収まっていた。

僕はお母さんが両手だけで脇の下を抱え上げるのでなく、両腕まで添えて抱き上げてくれるその愛情が、とても安心できて居心地良く嬉しかった。

思わずお母さんの口元をペロペロし始めると、「そうっ、嬉しいの、よーし、よしよし、いい子だねえ」と、出かけるつもりが無かったせいか、化粧っけ無い顔の鼻の周りまで舐めさせてくれた。

お母さんはそのまま少し後ずさりをして、お父さんを招きい入れた。

お父さんは玄関の上がり口を『シメシメ』風な顔つきで上がり、お母さんの両手の中にいる僕の頭を撫でながら中二階のリビングへの階段を上がっていった。

お母さんは僕を抱いたまま、お父さんが閉め忘れた鍵を閉め、お父さんに続いてリビングヘ上がってきた。

 

そこは6畳程のリビングスペースと8畳程のダイニングキッチンのあるリビングダイニングであった。

お父さんはリビングのソファーに腰を下ろしながら、僕とお母さんを待った。

お母さんは何時もの座り順なのかソファーの手前の席に僕を抱いたまま並んで座り、僕を膝の上に両手を添えたまま座らせ、改めて僕の顔を見ながら「可愛い顔してるねえ、優しそうな、いい子だねえ」と、盛んに誉め言葉を並べ始めた。

いかにも最初に「ダメだって言ったのに」と、言ってしまった言葉をかき消そうとしているかの様であった。

そんな様子を見計らってか「どうよ」と、なんとも言いようの無い問いかけをお父さんがしてきた。

「どうもこうもないわよ、だって見ちゃったらこうなると思ったから、見に行かないって言ったのにー」と、お母さん。

「じゃあ、なんとかなるう」と、又分かりにくいお父さんの受け答えに

「しょうがないでしょう、だって見ちゃったんだからー、それに2、3日で保健所へ連れて行かれるんでしょ。」と、少し落ち着いてその時の状況を思い出しながら話し始めた。

「そう、オレも見たらこうなるかと、行かない様にしてたんだけど、Eちゃんに言われてつい行っちゃたらさ、この子がヒョコヒョコ出てきて、なつくもんだからしょうがなくてさあ」と、さっきドアを開けて入ってきた時の、ほんの少しの心配もすっかりなくし、実はお父さんもお母さんと同じ気持ちだったと告げた。

「そうねえ、やっぱりこんなに可愛いの見ちゃったらどうしょうもないわねえ」と、お母さんは黙って連れて来ちゃったお父さんをすっかり許していた。

 

「おいっ、ここの子になっても良いって、良かったなあ」と、お父さんはお母さんの膝から僕を取り上げ、顔の前へ抱き上げ僕の目を見た。

お前もこれで良いのかと、無言の問いかけに僕は、ただただお父さんの口の周りをペロペロしていた。

「お父さん、気をつけなさい、まだばい菌が一杯かも知れないんだから」と、自分もそうさせてしまっていた事への照れ隠しの言葉を、お母さんが言った。

そして、「どうすんの、どこで飼うの」と、次の段階の部屋割りの相談が始まった。

「小さいうちはしょうがないからここで飼うか」とお父さんは前もって描いていた構想を持ちかけた。

「そうねえ、でもオシッコとかウンチとか大変よ」と、お母さん。

「とりあえず新聞紙でも敷いておくしかないか」と、大雑把なお父さんは「それより、名前はどうする」と、お母さんに問い掛けた。

「ああ、そうねえ、そうかあ、名前ねえ。」と、飼うとなるとちょっと面倒かも知れない色々な事への思いはかき消され、一生懸命それらしい名前を思い、口ずさんでみるお母さんである。

 

「リキ、これはどう。リキ」と、お母さんはすっぱり言ってのけた。

「おおうっ、リキか、うん、いいねえ。」「おいっ、リキ。お前は今日から『リキ』だ。良いねッ」と、

一旦膝の上に下ろしていた僕を又抱え上げ、目を見てはっきりとお父さんは僕に伝えた。

そして、「ようーし、これで今日からここが『リキ』お前の家、どうだっ」と、フローリングの床に降ろし自由にさせてくれた。

フローリングの床にちょっと戸惑った僕は、少し滑り気味にそれでも落ち着いておどおどすることなく、このリビングダイニングを探検し始めた。

リビングの片隅には、天上まで届きそうな観葉植物の「ドラセナ」が、新しく家族に加わった僕を歓迎してくれていた。

僕がその下の方まで行くと、後ろからソファーから腰を降ろし床にしゃがみこんだお母さんが「リキ、こっちへおいで、リキ」と呼びかけていた。

何度も聞こえる「リキ、リキ」の声に反応し後ろを振り向き、直ぐにお母さんの差し出す両手の方へ少し滑りながら駆け寄った。

「ようーし、よしよし、リキ、来たか。分かったのか、リキ、よく出来ました」と、お母さんは抱き上げ頭を撫でながら、満足そうにしていた。

 

そんな様子を見届けたお父さんは「じゃっ、そろそろ荷物を積んで戻るよ。じゃあねえ、リキ」と、仕事に戻ろうとするおとうさんに、

「うーん、そう、分かった、じゃあ」と、もう少し僕と三人で遊んでいたい気持ちを持ちながらの生返事をしたお母さんは、僕を抱いたまま玄関までお見送りをしにお父さんの後を追った。

「じゃあね、リキ、おりこうにしてるんだよ、もうすぐお兄ちゃんも帰ってくるからね」と、僕の頭を撫でながら、お父さんが居なくても遊び相手がいてくれそうな言葉を残し、後ろ髪を引かれる思いを断ち切る様に、玄関のドアから出ていった。

 

リビングダイニングに戻ったお母さんは「さあっ、大変だ、リキ。ちょっと降りててね」と、優しく床に僕を降ろし片隅にある古新聞置き場から古新聞の束を取り出し、リビングの周辺部分に三枚重ねぐらいで敷き詰始めた。

そんなお母さんにまとわり付き、甘える僕に「ダメよ、ほらっ、ちょっと待っててね」と、言いながら余計に増えた仕事を、お母さんはむしろ楽しそうに続けた。

敷き詰められた古新聞の上は、フローリングの床より滑り方はすこし少なく、歩き易かった。ただ重なった部分の少し持ち上がった所で足を取られることがあり、よろけたり、ひっかけてきれいに敷き詰められている物を『ガサガサ』と折り返して踏んづけてしまうのだ。

「あららっ、大丈夫、リキ。まだちっちゃいから引っかかるか、可哀想に。」と、きれいに敷き詰めた作業の邪魔をする僕を叱る事も無く、

「はいはいっ、気をつけてね。」と、僕の頭を撫でながら、少し乱れた古新聞の敷き詰めを直すお母さんが、よろける僕の様子に

「あれっ、疲れちゃったかな、おねむになった。ああ、そうだお腹も空いたかな」と、気をもみ始めた。

「そうだよね、ゴメンゴメン、ちょっと待っててね。」とお母さんは慌ててダイニングキッチンの方に行き、戸棚から何かを取り出し、冷蔵庫から又何かを取り出し30センチ程のトレーを持ってきて、古新聞が敷かれたリビングの片隅に置いた。

トレーには白い器が2つ、一方にはミルク、もう一つにはお水が入れられていた。

西側にある幅50センチ程の縦長の窓はここだけレースのカーテンも開け放たれ、そこから入る日の光で、この時間はそこだけが暖められているのであろうフローリングの床の板のぬくもりがとても気持ちよく、トローンとした目で寝そべっていた僕に、お母さんは、

「あれれっ、おねむが先かな、でも喉も乾いたでしょう。リキ、こっちに来てミルク飲みなさい。」と、声をかけて来た。

僕は又『リキ』に反応し首を持ち上げた。すっかり『リキ』と言う響きに馴染んだようだ。

 

ガツガツした様子もなく立ち上り、トレーの前へ行き、ミルクの方へ舌を出してみた。

余り乾きも空腹も感じていなかったのに、ゆったりとした気分で飲むミルクは、飲み始めるととても美味しく、器の半分ほど入っていたものを殆ど飲み干してしまった。

ちょっと突き出た鼻の周りについたミルクのとびちりを、舌で舐めまわしながら、満腹そうな様子を見せる僕に、お母さんは用意したミルクの量と僕の小さな身体を比較しながら「よく飲んだねえ、リキ、えらいぞっ」と誉め言葉を投げかけてくれた。

そして、「さあっ、じゃあ、今度はお昼寝だね」とソファーの方へ後ずさりし、腰を下ろしながら、

「はいっ、リキ、おいで、こっちこっち」と、両手を下に差し出し、僕を手招きしてくれるお母さんの元へヒョコヒョコと近づいて、ジャレる様子も無くその手にすっぽり収まった。

お母さんは僕を抱き上げ、ソファーに深く腰掛けた太ももの上に乗せ「さあっ、いいよ、リキ、ねんねして」と、この上ない柔らかさと暖かさを兼ね備えたベッドを提供してくれた。

なんとも言えない安堵感と安らぎは、直ぐに僕を夢の世界へ運んでいってくれた。

スヤスヤと気持ち良さそうに眠ってしまった僕を満足そうに見下ろしていたお母さんは、手持ち無沙汰になり、ソファーの傍らにあったリモコンに手を伸ばし、テレビのスイッチを入れた。

そして何時もの半分ぐらいの音量で午後のワイドショウを見始めた。

そして、絞った音量でも僕の眠りを妨げないか気にしながら、僕の寝顔をうかがった。

僕はそんなお母さんの素振りには気もつかず、ただ優しさだけが肌を通して感じられ、更に深い眠りについていった。

昼休が終わりそうな時間であったが、Tさんはまだ僕達の近くにいた。

いつもの軽トラックの後ろに1台の車が止まった。

「社長、やっと来てくれたの。」と、Tさんが声をかけた。

「Eちゃんが何匹か面倒見てくれそうじゃないか、良かったなあ。」と、お父さんは少し良い方向に向かい始めた里親探し問題を慰めていた。

「ええ、そうなんです。でもまだまだ居ますから。」と、Tさんは僕達の方へお父さんの目を誘い「この子達なんです」と僕達をお父さんに見せた。

そして、「ええっ、どれどれ」とお父さんが僕達に近づいて来た。

「おお、おお、お前達か、本当だ、まだ小さいねえ。」と、腰をかがめながらゲージから2メートル程のところにお父さんが近づいて来た。

僕達ははここの環境にもすっかり慣れ、ゲージの中のボロ毛布の上でジャレ合うことも多くなっていた。

ちょっと前までその中ではしゃいでいた僕は遊び疲れ、Tさんが傍にいることで、たまたま開いていたゲージから外へ出ていた。

そこへ近づいて来た、優しそうなメガネの男の人がいたのだ。

ここ2、3日の間に慣れ親しんできた、少し土の香りのする作業着姿でなく、セーターの上に赤いジャンバーを羽織った壮年のお父さんだ。

軒下の日が差し込む所にしゃがみ両手を低く前に出し、僕を手招きしている。

兄弟の中で一番先に、この来訪者に気がついた僕は、いきなり駆け寄る分けでもなく、その状況をうかがうわけでもなく、それでも確実にヒョコヒョコと近づき、低く差し出された両手の中にすんなり収まった。

 

僕とお父さんの運命的な出逢いは、正にこの時だったのだ。

 

「おおっ、来たか。お前が一番に来たのか。そうかそうか、よしよし」と、僕を抱き上げた。

抱き上げるとお父さんは僕を胸元に引き寄せ片手で抱きかかえ、もう一方の手で頭から背中の辺りを優しく撫でてくれた。

触れた時少しひんやりする作業服と違い、お父さんの胸のセーターのむくもりはとても心地よかった。

嬉しくなり僕は直ぐ眼の上のお父さんの首から顎の辺りをペロペロ舐め始めた。

「おおっ、どうした嬉しいのか、そうかそうか」と、僕の方に眼を落とす。

顔が下に向けられたので、僕は更にお父さんの口の周りから鼻までペロペロ舐め続けた。

暫くお父さんはさせるがままにしてくれた。

「おいおい、そんなに気に入ったか、そうかよしよし」と、ちょっと僕をたしなめながら、胸元にお腹を上に片手で抱き、

「おーうっ、お前は男の子か、そうか」と、僕の観察を始めた。

「あれっ、こいつ白い靴下はいてるね。へえーっ、可愛い顔してるねえ」と、傍にいるTさんにも話し掛けた。

後で分かった事だか、この足の半分位から毛並みが白くなっているのは雑種(MIX)の証らしい。

Tさんは「いい子達でしょう」と、自慢気に答えた。

二人の会話か進み始めた頃には、ゲージで遊んでいた兄弟達も集まり、人懐っこく甘え始めた。

お父さんは僕を胸元に片手で抱きかかえたまま、もう一方の手で兄弟達をあやしていた。

「Eちゃんが決めそうなのはどの子なの」と、お父さんが聞くと、

「何か女の子がいいらしく、この子とこの子です。」と、Tさんは妹達を抱き寄せながら答えた。

「へえーっ、あっそう、なんだお前はまだ行く先が無いんだ。」と、抱きかかえたままの僕に眼を落としたお父さんは、今度は両手で僕を抱き上げ改めて観察をし始めた。

そして、僕を優しく下に降ろし、今度は弟を引き寄せ「お前は少し小さいけど、元気そうだなあ」とか、次にはお兄ちゃんを引き寄せ「お前は少し大きくてガッシリしているなあ」と、男3兄弟の比較をし始めた。

その様子にTさんは「ねえ、社長お願いしますよ、可愛いでしょう」と、先輩への甘え口調で話しかけた。

「そうねえ、こうやって見ちゃうとねえ。だって、後2、3日で連れていかれるんだろう」と、お父さんの気持ちは確かに動いていた。

「ようしっ、じゃっ1匹面倒みるか。でもカミさんがどう言うか分からないけど、とりあえず連れていってみるよ」と、僕達3兄弟に目を落としたままTさんに告げた。

Tさんは間髪入れず「どの子にします。」と、僕達男3兄弟を囲むように差し出した。

お父さんは改めて見るまでも無く、既に決ってたかのように僕を抱き上げ「最初に寄ってきたお前かな、靴下も可愛いし、こう言うのも縁かも知れないしなあ」と、又胸元に引き寄せてくれた。

又セーターのぬくもりが心地よく伝わってきた。とてもホッと出来るやさしい揺り篭のような胸元であった。