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30分ぐらいでEさんがお店の方に戻って来た。
「すいませんでした。」と、先ず自分が持ち場を離れた事をあやまる言葉をお父さんに伝えながら、
「可愛いですよ、まだ小っちゃくて」と状況説明をし始めた。
お父さんは「でも君んところじゃだめなんだろう」と、ニュースを知らせなかった理由の説明も兼ねた言葉で答えた。
Eさんは知らせてもらえなかったのが自分への思いやりてである事を分りつつ、
「ええ、でもちょっと欲しがっている人のあてがあったもので」と、自分では飼えない子犬の元へ駆けつけた理由の説明を付け加えた。
「メス2匹ならなんとか探せるんですが・・・・。あと3匹でしょ」と、全部面倒見たいとでも言いたげなEさんである。
さすがに犬好きの彼女、こんなに可愛い生まれて間も無い子犬達を、絶対処分なんて考えられないと思い始めていたのだ。
僕達の里親探しの頼もしい見方が出来たのらしい。
Tさんも毎日顔を会わすわけでもないEさんの事は、必死になりすぎて思い浮かばなかっつたのであろう。灯台下暗しだったのだ。
落ち着いて考えて見れば、園内にはアルバイトも含めれば常時100人以上は居るスタッフの中で、犬に関係した学校に通い、将来好きな犬に携わる職業につきたいと考えている人間など、そう居るものでも無いと思えるその人が、ここに居たのである。
お父さんは高校生の時から2年以上も勤めてくれているアルバイトのEさんを、家族同様に付き合い、可愛がっていた。
その思いは犬が大好きでありながら飼えない、彼女自身の事情のことばかりを優先させ、ひとつの判断を誤らさせていた。
彼女の周りには犬好きの人が沢山いるそんな環境があったのである。
もっとも犬好きの人が直ぐに犬を飼える分けでもない。
住まいの事情、家庭の事情、自分自身の体質など、愛情や思いがその環境を覆い尽くせ無い事もしばしばある。
「明日学校に行って確かめて来ます。」とEさんは、かなりの可能性のありそうな言葉をお父さんに伝えた。
「あっ、そう、そりゃあ良かった。Tさんも喜んでいたろう。」と、次への展開を想像もせずにお父さんは答えた。
二人の会話もこれで終わり、それとなく30分程前の仕事の続きへと気持ちが戻りかけた時、
「社長の家は駄目なんですか?」と、Eさんはすっかり里親探し片棒を担がされたかのように会話を戻した。
「ええっ」お父さんの頭の中はさっきTさんが「社長、貰ってくれない」と言った時点に逆戻りした。
とことん困り果てているTさんの様子に、どうしたものか、少しでも役にたってあげられるのか、何か手立てはあるのか考え始めていたのだ。
「ええっ、ウチかい、立て替えた時庭もつぶしちゃったしなあ。」と、お父さんは何かを頭に浮かべて話している様であった。
建て替える前までホンの小さ三角形の4坪程の庭に、芝生を植え刈り込みを丹念にし、夏など子供のビニールプールの絶好の遊び場になっていた所を、コンクリートの駐車場にしてしまっている事を思っていた。
あそこなら犬の1匹ぐらい飼えたのになあと想像していたらしい。
お父さんも、お母さんも子供の頃に犬を飼っていた経験があり、その可愛さや犬と一緒に暮らす喜びは、大変な世話以上に何にも変えがたいものがある事は知っていたのだ。
「部屋はフローリングですか?裏庭は?」と、Eさんは、お父さんの家族が犬好きである事を悟ったかのように、問い詰めて来た。
「うん、まあ、畳の部屋はおばあちゃんの部屋だけだけど・・・。ええっ」と、お父さんは又考えてもいなかった事を頭に描き始めていた。
自分の子供の頃飼い犬は外、犬小屋で飼うものと相場は決まっていたのだが、最近ではフローリングの部屋の多い家が増え、室内で一緒に暮らす室内犬のブームにはなって来ていたのだ。
「ならっ、部屋でも飼えるじゃないですか、いいなあ」と、Eさんは自分なら絶対そうしますとでも言わんばっかりに決めてかかって来た。
「本当に可愛い子達ですよ、社長も見て来て下さいよ」と、Eさんが続けた。
お父さんの心は動き始めていた。Tさんに頼まれた時に思い始めたのは、誰か飼い主を近所だったり、お母さんのお友達だったりの中にいないか探して見ようと言う、里親探しの手助けであった。
それが何時の間にか、近しい二人が一生懸命にこの子犬達の先短い運命を、なんとしても救わんとしている事にすっかり共鳴し、我が家でも一匹はなんとかしてやろうと、思い始めていたのである。
「そうだなあ。カミさんに聞いてみるか。」とお父さんは次の段階へ踏み出した。
「そうですよ、奥さんも犬が好きなんだし」と、ここのとろの閑散期には、日曜日だけは来ていっしょに働いているお母さんの犬好きの性格も見ぬいていて、更に強気になって来たEさんである。
お父さんは思い腰を上げる風でもなく、意を決する風でもなく、電話をかけ始めながら「カミさんに聞いて見るか。」と、Eさんと目を交わした。
事の成り行きが自分の思惑通りなのか、Eさんは後押しする目つきをお父さんに投げかけ、何かホッとした様子を見せていた。
「もしもし、あのさあ、うまれたばっかりの子犬らしいんだけど飼わない?」
「なにいっ、子犬?棄てられていたのっ」
「うん、なんかこの間の成人式の日に棄てられていたらしいんだ。5匹いっしょに」
「ええっ、5匹も、小さいの?」
「まだ見てきてないんだけどさあ、T君が面倒見ているらしいんだ。」
「ええっ、まあっ、可哀想に、何処で、詰所の所で?」
「ああ、そうらしいんだよ。今もEちゃんが行って見て来たんだけど、たまんなく可愛いって」
「そうっ、Eちゃんは専門家だもんね。でも、ウチは駄目よっ、だって誰が面倒みるの?皆仕事もあるし、可哀想だけど」
「うーん、そうだよねえ。そうそう、誰か友達とか心当たりはないっ?」
「えーとっ、そうねえ今ちょっと思いつかないけど。でも、ちょっと見たい気はするわねえ。」
「いや、まだオレも見てきてないんだけどさあ。見に来るっ?」
「うーん、でも止めとくッ。だって、見ちゃったらさあ・・・・」
「そうねえ、じゃあ、探している人いないか考えといてよ」
「うーん、分った。じゃあねえ」
お父さんは、『やっぱり、そうだなあ』と、自分の思い巡らした事が簡単でない事に気がつきながら電話を切った。
犬は好きでも本気で育てるには、散歩から餌の用意、愛情の注ぎ方からしつけまで、飼いっ放しとはいかない性格の家族であることが分かっていたのだ。
お父さんの言葉しか聞き取れないEちゃんは、犬好きのお母さんの言葉を想像しながら会話を成り立たせていた。
「奥さん見たがっていたでしょう。」と、より良い方への事の成り行きを期待する言葉を投げかけて来た。
「うん、でも二人で仕事に出る事があるんだから、ちょっとねえ。」と、お父さんは飼いたい気持ちもあるんだけど実際は難しいそうだと思っている事を伝えた。
お父さんの気持ちが少し翳り始めたのを見てとると、
「社長も見て来てくださいよ」と、何か自信ありげな様子でEちゃんはお父さんを促した。
「そうだなあ・・・・、それじゃあ、ちょっと見てくるか」と、お父さんはわりと近くの従業員用の駐車場へ行き、車で詰所へ向かった。