天国のRIKI

全てノンフィクション。あなたの周りにもこんなドラマが。

番外   一杯のかけそばならぬ『一袋の天然石』

これは10年程前お父さんが見掛けたステキなほのぼのした幸せそうな家族の話である。

ここは東京郊外にある遊園地、その日は松の内も過ぎた最初の日曜日で、最後の正月気分を楽しもうと多くの家族連れで賑わいをみせていた。冬真っただ中とは言え風も無く良く晴れていたのでそれ程寒さは感じられなかった。

何時もはレジ裏の狭いパソコン室で事務の仕事をしているお父さんが、その日は店がそこそこ忙しく、その時もスタッフ二人では手が足らず、レジ場へ借りだされていた

このお店は遊園地内の天然石の専門店で、遊園地のお店らしく子供達に人気の天然石採りと言うお土産付きのアトラクションもやっていた。白い砂の中からお気に入りの石をザルとシャベルで探し出し、決められた重量をレジにて計量してもらい持ち帰れるのである。

お父さんが2、3組接客し終えた所へ3人連れの親子が計量にやって来た。何時ものように手慣れた作業で計量し「うーん52グラムかあ、ちょっと多いけどまあっいいっか、おまけで持って行って下さい。」と言うと、小学校3、4年の男の子がそれは嬉しそうに「ありがとう」と袋に入れた天然石を受け取った、その僕の満足そうな笑顔があまりに幸せそうなので、その親御さんの方へついつい目を移したのです。

右隣にいたかなり太り気味のお父様が微笑みいっぱいの口元で「良かったね、楽しかった?」とその僕に声を掛けていた。「うん」とこの上なく満足気な返事に、濃い緑色のサングラスを付けていられて目元迄はうかがえないものの、とても嬉しそうであった。

そしてその手に白いステッキが握られている事をその時お父さんは始めて知り、ああっ、目がご不自由なんだと気が付きました。一言二言発した我が子の声からその満足そうで嬉しそうな様子を感じ取られたのでしょう。そしてその僕は左側へ向き直りお母様へ小刻みに手を動かし始めました。それに応えてお母様も手と声の出ない口元で会話をし始めました。手話で話をしているのです。ええっ、お母様は耳と口がご不自由なんだ。僕がお父様との間で通訳をしているのです。
そんな3人の家族がとても幸せそうに見え、お父さんは心の温まる思いで「ありがとうございました」と、お見送りをしたのです。

 

お父さんは少ししてレジ場のあわただしさが一段落したところで外の坂の上にあるトイレへ用足しに行きました。この坂がなかなかの急勾配で3、40メートル続きます。用を済ませて坂を下り始めた時、道幅10メートル以上の反対側の端っこの方を、さっきの3人家族が上って来るのが見えました。目の不自由な太っちょのお父様にとってはちょっと難儀な登坂かも知れません。坂の途中から勾配がきつくなる辺りで一休み、それまで介添え役で手を引いていたお母様も、今度は声の出ない掛け声を発しながら「よいしょ、よいしょ」とその手を引っ張り上げる様になりました。
先に上り切っていたあの僕が振り返り、その様子を見るとすぐに駆け寄り、「今度は僕が押してあげるよ」と、太っちょお父様のうしろから腰のあたりを一生懸命押し始めました。「おおっ、ありがとう、楽だ楽だ、おおっ、助かる助かる」と、それは嬉しそうに坂を上り始めました。引っ張るお母様もとても楽しそうでした。

黒い大きなD51とオレンジ色の前走ジーゼル機関車と、青い小さな力強い後走ジーゼル機関車の力強い絆の3連走である。

お父さんは手助けを申し出るのも忘れ、この素晴らしい家族愛を只々見守っていました。登り切った坂の上から桜並木の方へ姿を消した3人は一段と会話も弾んでいる様で、お母様の手は盛んに小刻みに動いていました。手助けは無用だったようです。

「いい加減にしなさい」と言ったお母さんだって僕にべったりで、お父さんのいない昼間は僕もべったり。

昼のテレビ観賞はソファーに座ったお母さんの太腿に頭を乗せ、お父さんも出来ない膝枕状態です。

お母さんの口癖には「この子は本当にハンサムだよ、性格もいいし」と僕を自慢する言葉があります。

朝の散歩でお知り合いになった方々から「リキちゃんは本当にいい顔立ちをしてるねえ」「性格も良さそうだし、良い子だねえ」と、誉められようものなら一日中気分晴れ晴れで、夜帰ってくるお父さんへの報告が待ちきれずメールをしていた事もあるほどです。

女性としては結構気性の激しい方の性格でありながら、僕に対する愛情はそれは細やかで、僕助かってます。

こんなに僕にべったりな両親だと子供がいないかのように見えますが、何々この5月まではこれまた僕にべったりなお兄ちゃんが一緒に住んでいました。

結婚して独立し、近くではありますが新居を構えたので、今は僕と両親だけです。

 

実は僕がこの家に来たのは、このお兄ちゃんの中学受験の際のイライラ解消、精神的ストレス防止の役目も持たされてのことだったのです。

それほどガチガチの英才教育をする訳でもない両親は、当時は地元のわりとゆるやかな私立中学を志望させ、ここなら大丈夫でしょうの太鼓判を貰いつつも、受験が近づくとそれなりに緊張と不安で家庭内がギクシャクし始めたのです。

4歳の頃よりバイオリンを習い発表会などで本番の度胸はついていると思いつつも、やはり受験となると色々大変そうで、失敗しても公立へ行けば良いんだからの気休めも、何かその時の気分を逆撫でする様で、当時元気に同居していた姑と嫁の関係までギクシャクし始めたそうです。

受験をする当の本人もわりとおおらかにそだったにもかかわらず、自分に対する家族の期待がなんとなく覆い被さり、母親譲りの心配性の性格が顔を出す様になっていた様でした。

 

お父さんが仕事先の遊園地に捨てられていた僕をそんな家庭内の緩衝材にと連れて帰って来たのです。

お父さんの思いは見事的中し、お兄ちゃんは大喜び、それまで全ての注目が自分に向けられ、自分中心に回り過ぎるその時を、新しく加わった弟に少しお裾分けする事で気が楽になり、そんな役目の僕をとても可愛がってくれました。

そして、見事に合格、中学・高校と6年間の学園生活が保証されたのです。

 

お兄ちゃんは僕を弟と決めつけ、僕をしつけたりする時はとてもお兄ちゃん顔になります。

でもお兄ちゃんが僕の隣でテレビを見たりしている時、なんとなく僕の耳をクリクリ触るのは母親離れの代替かな。

耳をクリクリされるのはそんなにいやじゃないからいいんだけど、たった一つ困る事があります。

それは僕がソファーですやすや居眠りをしていると、遊び相手にならない僕に不満なのか、居眠りながらのお手をさせるのです。

眠っている僕の傍に来て「リキ、お手っ」。反応が無いと前足をつっつきながら又「お手っ」。

眠気眼で前足を伸ばすとその足を握り締め「よーし、よし、よし」と頭を撫で、「いいよ寝てて」と半分起こされてしまう事です。

でもとってもいいお兄ちゃんで何時も僕の事を気に懸けてくれます。だからとっても好きです。

 

この家にはもう一人お兄ちゃんが居ます。勿論結婚して現在は新丸子で祖父の後を継いで歯科医院を開業しています。

週1回お母さん孝行の為に麻雀に来ます。

このお兄ちゃんが大きくて120キロぐらいあります。こんな大きなお兄ちゃんをこのお母さんが産んだのかと思うほど大きいお兄ちゃんです。

お母さんと自分とを麻雀きちがいへの仕立て合いで、何時も何時も言い出しっぺにならない方法のも探り合いをしています。

僕にとってはお母さんを大切に考えてくれる、やっぱり大切な家族です。

 

今はこんな4人と一匹、この家では人並みなので5人の物語が進行中です。

ただ僕が元気ならいいのですが、去年の春にはしゃぎ過ぎてリビングから玄関への階段から落ち、足をくじき頭を強打した頃から体長を壊したのです。

この頃室内では首輪を外していたので「お守り」を着けていませんでした。

これを機に急に老いが進み、今ではすっかり老犬になってしまいました。

痩せてガリガリの身体は背中が曲がり真中辺がポコッと上に突き出し、脳障害のせいか何時も首が左に傾き加減です。

食欲もあったり無かったり、足はすっかり衰え痛みもあります。

特にひどい左を下に寝てしまうと、一人では起き上がれません。

夜中など痛くて唸るため、お父さんかお母さんが起こしに来てくれます。

そしてもがくあまりにおもらしもしばしばです。

そんなで今は室内ではおむつをしてもらっています。

そしてお父さんが考えてくれたおむつのズレ止めの首輪には、しっかりと水晶の「お守り」を着けてもらっています。

 

去年の夏の終わりに急に歩けなくなった時お医者さんにかかりました。

老衰の急激な進行で自律神経に支障をきたした様です。

お医者さんはこの子はまだ立ち上がろうと言う気力があるから大丈夫と言ってくれました。

でもあれから4ヶ月、僕もすっかり自分が老犬になってしまった事を悟るようになりました。

 

そこでまだ記憶がはっきりしている間に色んな事を書き留める事にしました。

僕が中二階にあるリビングへの階段を滑りながらあわてて昇るため、爪を立ててカシャカシャと上がり始めると「ほら、あわてると落ちるよ」と、お父さんはお尻を押してくれます。

お母さんとお父さんはここで「ただいま」のこご挨拶です。

僕がお迎えを何よりはしゃいでするようになってからは、玄関でのお迎えは僕の独壇場なのです。

「ただいま」「おかえり」の挨拶もそこそにお父さんがソファーの前に行くのを待ちかね、僕はお父さんに跳びつきソファーに押し倒します。

お父さんの両足の間から馬乗になり、押さえ込みながらのディープキッスです。

口の周りと言わず鼻の周りと言わず顔中嘗め回します。

流石に舌を口に入れる事だけはさせてくれませんが、少しずつ出してくれる唾液を飲み干すのです。

2~3分は続くのでしょうか「いいかげんにしなさい」とお母さんにやきもち半分に窘められるまで儀式は終わりません。

そして一段落、いつのまにか僕の居場所になってしまったソファーに寝そべります。

 

愛犬が買主の口の周りを嘗め回すのは服従のしるしだと言いますが、僕とお父さんの間にはそんな関係は存在しません。

信頼と愛情があるだけで、この儀式の間にお父さんの今の気持ちや考え、そして僕がここに来る前のお父さんの記憶まで吸い取ります。

そして僕の心もお父さんに移し、これで僕とお父さんはひとつになるのです。

RIKI

     2007/1/7

僕の名前は「リキ」、この家に拾われてきて16年になります。

一昨年の秋には川崎市の長寿犬の表彰も受けました。

僕のお散歩用の首輪にはお母さんが買ってきてくれた2.5センチ位の六芒星の水晶がぶら下がっています。

 少し足が弱ってきたのか白内障で目が良く見えなくなって来たのか、お散歩の時に道路脇のドブ板の繋ぎ目の穴に足を落っことし怪我をする事がしばしばあるようになって、「お守り」にとお母さんが着けてくれたのです。 


去年の冬までは歳のことなど気にならないぐらい元気でした。

朝はお母さん夜はお父さんと行く散歩が大好きで、リビングで飼われている僕は朝は寝室から降りてくるお母さんの足音が待ち遠しくて階段の下でお迎え、夜はお父さんが帰ってくると玄関までお迎えに跳んで行き一つの儀式をするのです。

四っつの足を少し開き気味に屈めてふんばり、尻尾を振れるだけ振り、振り過ぎて身体までくねくね曲がり踏ん張りきれない足元をばたばたさせるのです。

それを見たお父さんはどんなに仕事で疲れていても玄関の上がり口で身体を少し屈めがちに顔を前に出してくれます。

 

僕はお父さんの両肩に前足をかけお父さんの口の周りを嘗め回し、お帰りなさいの挨拶をするのです。

ひとしきり儀式が済むとお父さんは「よーし、よし、よし、もういいだろう」と玄関を上がりお仏壇のある畳の部屋へ行きます。

お仏壇の前に座りおロウソクに火を点けお線香に火を移し手を合わせます。

そして小声で「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、ただいま」と言いおロウソクの火を手のひらで消し後ろを振り返ります。

そこには何時もならこの部屋に入ると叱られる僕がお行儀良くお座りをしています。

「さあっ、上へ行こうッ」とリビングへ促されます。僕は又尻尾を振り始めます。実は儀式の続きがまだあるのです。