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「いい加減にしなさい」と言ったお母さんだって僕にべったりで、お父さんのいない昼間は僕もべったり。
昼のテレビ観賞はソファーに座ったお母さんの太腿に頭を乗せ、お父さんも出来ない膝枕状態です。
お母さんの口癖には「この子は本当にハンサムだよ、性格もいいし」と僕を自慢する言葉があります。
朝の散歩でお知り合いになった方々から「リキちゃんは本当にいい顔立ちをしてるねえ」「性格も良さそうだし、良い子だねえ」と、誉められようものなら一日中気分晴れ晴れで、夜帰ってくるお父さんへの報告が待ちきれずメールをしていた事もあるほどです。
女性としては結構気性の激しい方の性格でありながら、僕に対する愛情はそれは細やかで、僕助かってます。
こんなに僕にべったりな両親だと子供がいないかのように見えますが、何々この5月まではこれまた僕にべったりなお兄ちゃんが一緒に住んでいました。
結婚して独立し、近くではありますが新居を構えたので、今は僕と両親だけです。
実は僕がこの家に来たのは、このお兄ちゃんの中学受験の際のイライラ解消、精神的ストレス防止の役目も持たされてのことだったのです。
それほどガチガチの英才教育をする訳でもない両親は、当時は地元のわりとゆるやかな私立中学を志望させ、ここなら大丈夫でしょうの太鼓判を貰いつつも、受験が近づくとそれなりに緊張と不安で家庭内がギクシャクし始めたのです。
4歳の頃よりバイオリンを習い発表会などで本番の度胸はついていると思いつつも、やはり受験となると色々大変そうで、失敗しても公立へ行けば良いんだからの気休めも、何かその時の気分を逆撫でする様で、当時元気に同居していた姑と嫁の関係までギクシャクし始めたそうです。
受験をする当の本人もわりとおおらかにそだったにもかかわらず、自分に対する家族の期待がなんとなく覆い被さり、母親譲りの心配性の性格が顔を出す様になっていた様でした。
お父さんが仕事先の遊園地に捨てられていた僕をそんな家庭内の緩衝材にと連れて帰って来たのです。
お父さんの思いは見事的中し、お兄ちゃんは大喜び、それまで全ての注目が自分に向けられ、自分中心に回り過ぎるその時を、新しく加わった弟に少しお裾分けする事で気が楽になり、そんな役目の僕をとても可愛がってくれました。
そして、見事に合格、中学・高校と6年間の学園生活が保証されたのです。
お兄ちゃんは僕を弟と決めつけ、僕をしつけたりする時はとてもお兄ちゃん顔になります。
でもお兄ちゃんが僕の隣でテレビを見たりしている時、なんとなく僕の耳をクリクリ触るのは母親離れの代替かな。
耳をクリクリされるのはそんなにいやじゃないからいいんだけど、たった一つ困る事があります。
それは僕がソファーですやすや居眠りをしていると、遊び相手にならない僕に不満なのか、居眠りながらのお手をさせるのです。
眠っている僕の傍に来て「リキ、お手っ」。反応が無いと前足をつっつきながら又「お手っ」。
眠気眼で前足を伸ばすとその足を握り締め「よーし、よし、よし」と頭を撫で、「いいよ寝てて」と半分起こされてしまう事です。
でもとってもいいお兄ちゃんで何時も僕の事を気に懸けてくれます。だからとっても好きです。
この家にはもう一人お兄ちゃんが居ます。勿論結婚して現在は新丸子で祖父の後を継いで歯科医院を開業しています。
週1回お母さん孝行の為に麻雀に来ます。
このお兄ちゃんが大きくて120キロぐらいあります。こんな大きなお兄ちゃんをこのお母さんが産んだのかと思うほど大きいお兄ちゃんです。
お母さんと自分とを麻雀きちがいへの仕立て合いで、何時も何時も言い出しっぺにならない方法のも探り合いをしています。
僕にとってはお母さんを大切に考えてくれる、やっぱり大切な家族です。
今はこんな4人と一匹、この家では人並みなので5人の物語が進行中です。
ただ僕が元気ならいいのですが、去年の春にはしゃぎ過ぎてリビングから玄関への階段から落ち、足をくじき頭を強打した頃から体長を壊したのです。
この頃室内では首輪を外していたので「お守り」を着けていませんでした。
これを機に急に老いが進み、今ではすっかり老犬になってしまいました。
痩せてガリガリの身体は背中が曲がり真中辺がポコッと上に突き出し、脳障害のせいか何時も首が左に傾き加減です。
食欲もあったり無かったり、足はすっかり衰え痛みもあります。
特にひどい左を下に寝てしまうと、一人では起き上がれません。
夜中など痛くて唸るため、お父さんかお母さんが起こしに来てくれます。
そしてもがくあまりにおもらしもしばしばです。
そんなで今は室内ではおむつをしてもらっています。
そしてお父さんが考えてくれたおむつのズレ止めの首輪には、しっかりと水晶の「お守り」を着けてもらっています。
去年の夏の終わりに急に歩けなくなった時お医者さんにかかりました。
老衰の急激な進行で自律神経に支障をきたした様です。
お医者さんはこの子はまだ立ち上がろうと言う気力があるから大丈夫と言ってくれました。
でもあれから4ヶ月、僕もすっかり自分が老犬になってしまった事を悟るようになりました。
そこでまだ記憶がはっきりしている間に色んな事を書き留める事にしました。