天国のRIKI

全てノンフィクション。あなたの周りにもこんなドラマが。

きょうも冬晴れの風の無い、日向ぼっこにはもってこいの日である。

僕達がここへ来て三日、この園芸課に勤務する10人余りの人達共すっかり慣れてしまい、昼休みは勿論この資材置き場近くで誰かが仕事をしている時はゲージの一部を開け放たれ、周りを自由にうろつく事が許される様になっていた。

Tさんが用意してくれる餌やミルクだけでなく、従業員の人達がお弁当の中から「これなら食べられるでしょう」とか、「これは食べても大丈夫でしょう」と僕達に分け与えてくれる様にさえなっていた。

たった二日の間に僕達の愛苦しさは皆の心を和ませ、5匹一緒であった事も幸いして、その場に何人集まっても夫々が夫々をあやし、触れ合えるほのぼのとした雰囲気を作り、人気者になっていた。

もともと昼食後の休憩時間を、冬の日向ぼっこをしに何人かのスタッフが集まってくる場所ではあったのである。

そんな昼休みのスタッフ同士の取り止めの無い会話にも中々打ち解けにくい、物静かな感じのMさんも、彼の何時もの定位置となっている資材置き場の端の方に、僕達の1匹がヒョコヒョコと傍に近づいて行くと、「なんだ、どうした、こっちへ来たのか」と、抱き上げ地べたに座り込んだ膝の上に乗せ「ご飯は食べたのか、よーし、よし、よし」と、頭を撫でながら、何時もに無い表情で休憩時間を過ごすのである。

そして、昼休みが終わると「さっ、じゃっ、又後でなッ」とゲージに戻し、

「Aさん、ゲージは閉めとく」と、この場所の近くでの仕事の多い年配のAさんに、僕達の面倒を見ていられるかの確認を取り、夫々のその日の仕事場へ向かって行く様になっていた。

こんな様子を、僕達をここへ連れてきてくれた当のTさんも何故か自慢気で満足そうに見ながら、自分も仲間に入っていた。

 

元々ここのスタッフは園内中の植栽を全て受け持ち、育成から植え込み、植え替え土壌管理までを担う、『花と緑』がキャッチフレーズのこの遊園地の、なくてはならない重要な部署の従業員なのである。

とはいえ、仕事柄皆の制服は所謂ナッパ服で、ハイシーズンが迫ろうものなら例え雨嵐の荒天でも、園内各所の営繕の仕事も含めた外仕事を余儀なくされる、園内の汚れ仕事の請負グループなのである。

お互いの仕事の技量、得意技などを夫々に認め合う、ある意味の信頼グループなのです。

 

都立の園芸高校という、一風変わった高校の出身者であるTさんは、学んだ知識を生かせ、自分の仕事の成果をより多くの人に見てもらいたいと、この職業を選んで来たのである。

背丈は180センチ足らずのわりとガッシリした体格の大男で、学生時代にはラグビーでもやっていたような体つきをしていた。

彼が新入社員でこの遊園地に配属になり、その時の園内の各テナント業者への挨拶回りの際、余り知られていない自分の出身校の事を変に詳しく話し、懐かしんでくれたテナントの社長がいた。

「えっ、あの世田谷の園芸高校。あそこのラグビーグランドは素晴らしいんだよねえ。私は何度もあのグランドで定期戦の試合をしたよ。」

と、何か学校の先輩でもないのにTさんを、久々に後輩にでも会えたかのように話しかけたのである。

Tさんのがっしりした身体を改めて見ながら、「で、君もラグビーやってたの」と、問いただす社長に、「いいえ、僕は、でも友達は沢山やってました。」

新入社員のテナントへの挨拶周りと言うのは、遊園地本社の社員がテナントとの係わり合いをどうすればいいのか知る術もなく、通り一片の挨拶で終わらせるのが常通である。

時間が経ち、一緒に何年も一つの敷地内で仕事をする間には、夫々の立場夫々の会社の枠を超えた付き合いも生まれるのだが、Tさんは何かこのテナントの社長のことだけは特別に親しめる印象を持ったのだ。

以来園内で顔を会わすたびに、何か親しい先輩にでも会ったように、仕事の話しや趣味の話しを心置きなく出切る様になっていった。

当然の様に僕達の事もその日の中に、ニュースとして伝えに行っていた。

 

そして、最初は単なるニュースとして僕達の事を知らされた、このテナントの社長こそ、その後の16年以上もの長い年月を共に暮す事になる、僕のお父さんなのである。

僕とお父さんの出逢いは、世の中の恋愛や友情が様々な運命の糸の絡み合い、引き合いによって産まれてくるものと同じように、偶然と偶然・必然と必然がもたらした、世にも素晴らしき巡り合いなのである。